コロナ確認2年

制限から緩和 問われる共生 感染拡大、克服は遠く

国内で新型コロナウイルスの感染者が初めて確認されてから、15日で丸2年を迎える。ウイルスは変異を重ね、現在はオミクロン株の感染が急拡大している。政府にとって、この2年間は感染防止と経済活動の両立に向けた試行錯誤の連続だった。デルタ株より感染力は強いが重症化率は低いとされるオミクロン株に、どう対峙(たいじ)すべきなのか。コロナとの共生の在り方がいよいよ問われている。 (坂井広志、今仲信博)

「コロナ克服のめどをしっかりつけてから経済のV字回復を目指す。コロナと経済、二兎を追うという手法もあるが、メリハリをつけて、集中治療、早期回復型のアプローチをとる」

岸田文雄首相が東京都内での講演でそう語ったのは昨年12月23日。しかし、オミクロン株の感染は瞬く間に広がり、「克服のめど」がつかない状態に陥った。

感染者の増加ペースが速いため、沖縄県では医療や介護、保育など社会生活の維持に不可欠な業種の現場で、感染や濃厚接触による欠勤者が続出した。経済の再開どころか、全国規模で社会活動の基盤が揺るぎかねない事態となっている。

このため、政府は14日、濃厚接触者の待機期間の短縮を決め、行動制限から緩和へかじを切った。その先に見据えるのは、経済の本格稼働だ。もっとも、感染リスクへの対処を怠るわけにはいかない。

国際医療福祉大の和田耕治教授(公衆衛生学)は今後について「人流抑制よりも接触機会を減らすことだ。日常生活でできることは増やしていかなければならないが、感染リスクの高い行動は一時的にでも減らすことは必要だ」と語る。

振り返ると、令和2年4月、当時の安倍晋三首相は緊急事態宣言を初発令し、移動の自粛などの人流抑制策を展開した。効果は絶大で街から人は消えた。しかし、経済へのダメージは大きく、政府は立て直しに腐心した。その象徴が観光支援事業「Go To トラベル」だった。

9月に首相に就任した菅義偉氏は同事業を推進したが、12月に第3波の影響で停止に追い込まれた。3年1月には宣言を再発令。飲食店を「急所」と定め、営業時間短縮や休業を要請した。人流を抑制する対策から、感染リスクの高い場所をピンポイントでつぶす対策への切り替えであり、経済へのダメージを最小限に抑えることを狙った。

この年、菅氏はワクチン接種を急ピッチで進めた。しかし、デルタ株が猛威を振るい、東京五輪は開催できたものの、大半で無観客を余儀なくされた。

現在は3回目のワクチン接種は緒に就いたばかりだ。飲み薬を投与できる環境も整備の途上にある。感染リスクを減らしながら、経済を回す知恵が求められている。

弱い対応力 景気回復遅れ

新型コロナウイルスの感染者が国内で確認されてから15日で丸2年たつが、日本経済はまだコロナ禍前の水準に戻れていない。倒産や失業率の急増は防げたものの、ワクチン接種の遅れや政府の行動制限に振り回された。感染者数や死者数では米欧に比べて桁違いに少ない日本が景気回復で劣後する光景は、外部環境の変化に対する対応力の弱さを改めて浮き彫りにした。

「初めて緊急事態宣言が発令された令和2年4月、経済を〝瞬間凍結〟し感染収束後に解凍すれば、V字回復できると考えていた」

三菱UFJリサーチ&コンサルティングの小林真一郎主席研究員は、流行当初の雰囲気をこう振り返る。

人の流れが止まった2年4~6月期、実質国内総生産(GDP)は前期比年率28・5%減と戦後最悪のマイナス成長を記録。だが、行動制限で抑えた感染者は解除とともにぶり返した。

断続的な制限強化に加えワクチン確保の遅れや部品供給網の混乱など海外からの逆風にもあおられ、経済活動の回復は米欧より大きく後ずれした。GDPは3年1~3月期と7~9月期にもマイナス成長に陥り、政府が3年末と期待したコロナ前水準の回復も今年1~3月期以降になりそうだ。この間、政府は実質無利子・無担保融資など資金繰り支援を続け、昨年末まで2年間の中小企業向けコロナ融資額は政府系と民間金融機関合わせ約55兆円に上る。東京商工リサーチによる企業倒産件数は半世紀ぶりの低水準で推移。休業手当の一部を肩代わりする雇用調整助成金も奏功し、完全失業率は3・1%(2年10月)で頭打ちになった。

ただ、政策対応で抑えたゆがみは景気回復の遅れで増幅された。借入金の返済が本格化する中、今後は返済能力以上に借金を重ねた企業の倒産が増えそうだ。(田辺裕晶)