コロナ禍 重要度増す「心のケア」 阪神大震災27年

震災後、仮設住宅の被災者らに健康指導をする、こころのケアセンターのスタッフら(加藤さん提供)
震災後、仮設住宅の被災者らに健康指導をする、こころのケアセンターのスタッフら(加藤さん提供)

「心のケア」という言葉が、心的外傷後ストレス障害(PTSD)とともに広く知られるようになったきっかけは、平成7年の阪神大震災だった。以降、大きな災害や凄惨(せいさん)な事件が発生するたび、被災者や被害者らへの支援体制は整備されてきた。震災から27年。長期化する新型コロナウイルス禍の今、心のケアはより重要性を増している。

震災が転機

「生々しい映像が大きく報じられた初めての災害だった。同時に、家族を失った人の悲嘆、絶望といった被災者の心理的な苦悩についても伝えられた」

兵庫県こころのケアセンター(神戸市中央区)の加藤寛センター長(63)は、阪神大震災が日本の心のケアの大きな転機となったと感じている。

加藤さんは当時、東京の公立病院に精神科医として勤務していた。神戸大医学部出身。テレビで被災地の深刻な状況を目にし、居ても立ってもいられず、約3週間後に神戸に入った。

当時、神戸大医学部付属病院の精神科医局長で、日本の「心のケア」の先駆けをなした故・安克昌(あん・かつまさ)氏らとともに避難所へ。近い人を亡くした悲しみや避難生活でのストレスで、多くの人が心の傷を抱えていた。そうした観点から、被災者の精神面をサポートする拠点「こころのケアセンター」が兵庫県内各地に設置された。

阪神大震災からの道のりを振り返る加藤寛・兵庫県こころのケアセンター長=神戸市
阪神大震災からの道のりを振り返る加藤寛・兵庫県こころのケアセンター長=神戸市

加藤さんも東京の病院を退職して加わり、仮設住宅を巡回。健康チェックなどをしながら何か困りごとはないか尋ねて回った。被災者との信頼関係を築き、心を開いてもらうにはどうすればいいのか。手探りでの活動が続いた。

多くの悩み

5年間の期間限定事業だったが、期間終了後の平成13年に大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件や、兵庫県明石市の歩道橋事故が発生。同センターに所属していたスタッフらは、双方の事件事故の関係者支援にあたった。16年に心のケアに関する拠点として、全国で初めて都道府県が継続して運営する兵庫県こころのケアセンターが設立された。

同様の取り組みは全国に広がり、東日本大震災や熊本地震などの大災害では、発生初期からこころのケアセンターが設けられるようになった。精神科医らが被災者をケアする災害派遣精神医療チーム(DPAT)の設置も、各都道府県で進んでいる。

支援体制の整備が進んだことで、ケアの対象は広がった。兵庫県こころのケアセンター内の診療所には災害だけでなく、DV(配偶者間暴力)や虐待、性犯罪の被害者ら、さまざまな問題を抱える人たちが訪れるようになった。

月500件超

コロナ禍では自粛生活や感染への恐怖心から、心の不調を抱える人が増加。神戸市が設置する「自殺予防とこころの健康電話相談」の対応件数は、コロナ禍前の月平均約250件から大幅に増加。月500件を超えることもある。

昨年12月に発生した大阪・北新地のビル放火殺人事件では、多くの人が心のケアを必要としている現状が改めて浮き彫りとなった。

加藤さんは「心の傷は世の中にたくさん潜みながら医療の対象とならないことも多かった」と指摘し、阪神大震災からの道のりをこう振り返る。「震災を機に心のケアという言葉ができたことで、日常的な問題を抱えるさまざまな人にも光が当たるようになった四半世紀だ」(福井亜加梨)

阪神大震災の発生から17日で27年。当時、戦後の自然災害で最多の犠牲者を出した震災は多くの教訓を残した。その中には、未曾有のウイルス禍に見舞われている今こそ求められているものがある。当時を知る人たちの取り組みから「あの日の教え」を学ぶ。

災害時の情報源 若い世代にも広がるラジオの役割 阪神大震災27年