災害時の情報源 若い世代にも広がるラジオの役割 阪神大震災27年

社屋が全壊したラジオ関西の仮設スタジオ。被災者に有用な情報を伝え続けた=神戸市須磨区(©ラジオ関西)
社屋が全壊したラジオ関西の仮設スタジオ。被災者に有用な情報を伝え続けた=神戸市須磨区(©ラジオ関西)

国内での放送開始から約100年の歴史を持つラジオ。災害時の情報源として存在意義が見直されるようになったのは、平成7年の阪神大震災がきっかけだった。それから四半世紀あまり。インターネットの普及などラジオを取り巻く環境は変化したが、在宅時間が長くなった新型コロナウイルス禍では、ネット世代の若者の間でもリスナーが増えている。震災を経験したラジオ関係者は、新たなブームの到来に「非常時のラジオの役割がより重要になる」と使命感を燃やす。

被災者の頼みの綱

「人と人がつながる、街の伝言板のような存在だった」。フリーアナウンサーの藤原正美さん(61)は震災当時のラジオについて、こう表現する。

27年前の1月17日、藤原さんは、神戸市須磨区にあったAM神戸(現・ラジオ関西)の社屋にいた。生放送番組の打ち合わせ中に地震が発生。すぐさま外に避難したが、辺りは停電しており、状況はまったくつかめなかった。

そんな中、「みんな頼るものはラジオしかないのではないか」と意を決し、発生から14分後の午前6時に放送を再開。同局はそのままCM抜きで69時間連続、被害状況を伝え続けた。地震直後は通信社からのファクスを情報源にニュースを読み上げるとともに、被災地からのリポートも実施された。

社屋が全壊したラジオ関西の仮設スタジオ。平成7年3月から放送が行われた=神戸市須磨区(©ラジオ関西)
社屋が全壊したラジオ関西の仮設スタジオ。平成7年3月から放送が行われた=神戸市須磨区(©ラジオ関西)

3月からは同区内に建てたプレハブの仮設社屋に発信拠点を移した。携帯電話やインターネットが普及していなかった当時、同局には安否情報をはじめ、炊き出しの場所や受診できる病院など有用な情報が公衆電話などを通じて次々にもたらされた。被災者にとってラジオは頼みの綱だった。

総務省の調査によると、23年の東日本大震災でも、発生時に被災者らから最も評価されたメディアはAMラジオ、次にFMラジオだった。災害時にラジオが存在感を増す理由について、藤原さんは「停電時や車内にいる人にも情報を届けられる身近な存在だからかもしれない」と分析。リスナーに寄り添う姿勢こそが「安心して聴いてもらえる理由では」とみる。

声に癒やされ

外出自粛要請が相次ぎ、在宅勤務も広がったコロナ禍。対面での接触が限られる中、パーソナリティーが語りかける声に癒やされ、「人とのつながりを感じられる」とラジオを聴く人が増えている。

スマートフォンなどでラジオが聴けるサービスを運営する「radiko(ラジコ)」によると、コロナ前は750万人前後で推移していた月間ユーザー数は、緊急事態宣言が初めて発令された令和2年4月に900万人を突破。現在も800万~900万人程度で推移しており、各局の聴取率も好調が続く。ラジオから遠ざかっていた世代が再び聴くようになっただけでなく、なじみが薄かったとされる10~20代の割合が増加している。

リスナー層の広がりに加え、機器も多様化している。兵庫県西宮市など一部の自治体が地元コミュニティーFMとともに浸透させようとしているのが緊急告知ラジオだ。緊急時に自動的に電源が入り、防災行政無線と同じ内容が流れる優れもの。各メーカーも手回しや太陽光などで充電ができ、スマートフォンの充電も可能な防災ラジオを次々と開発している。災害に強いメディアとして、ラジオの重要性はますます高まっている。

ラジオ関西報道制作部長の林真一郎さん(56)は、ラジオが果たすべき役割を「情報を流すだけでなく、避難や安全確保に向けた行動に移してもらわなければ意味がない」と指摘。新たに聴くようになった若い世代も含め、「災害などの緊急放送でもラジオをつけてもらえるよう、日ごろから良質な番組作りを続けなければいけない」と力を込めた。(福井亜加梨)

阪神大震災の発生から17日で27年。当時、戦後の自然災害で最多の犠牲者を出した震災は多くの教訓を残した。その中には、未曾有のウイルス禍に見舞われている今こそ求められているものがある。当時を知る人たちの取り組みから「あの日の教え」を学ぶ。

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