「水玉のネクタイをお締めに…」 野田担当相、海部氏死去を悼む

首相就任記者会見に臨む海部俊樹首相(1989年08月11日撮影)
首相就任記者会見に臨む海部俊樹首相(1989年08月11日撮影)

野田聖子こども政策担当相は14日の記者会見で、交流があった海部俊樹元首相が死去したことについて「とても悲しい。水玉のネクタイばかりお締めになり、怒った顔をほとんど見たことがない明るい方だった」と悼んだ。

野田氏と海部氏は互いの選挙区が近く、海部氏の夫人が野田氏の地元の岐阜県出身だった縁などから交流があり、平成2年の衆院選に初出馬し、落選した際は進路の相談をしたこともあったという。

6年の自社さ連立政権の誕生時に自民党執行部が社会党の村山富市委員長(当時)を擁立し、反発した海部氏が離党して首相指名選挙の対抗馬となった際は、野田氏も「政策合意がない中、考え方の違う政党と『合体』するのは禁じ手」との思いから海部氏に票を投じたこともあった。

野田氏は当時を振り返り、「海部氏に『自分に書いてくれ』といわれたことはなかった。自分が一番信頼し、海部氏のもとで学んできたので『海部俊樹』という名前を書いた」と語った。「とにかく、威張らない大先輩だった。海部氏に恥ずかしくないように行動できればと思う」などと強調した。