被災の記憶次世代に 多数の犠牲者出た阪神間  阪神大震災27年

地すべりで亡くなった人の慰霊碑の前で手を合わせる岩城峯子さん(左)=兵庫県西宮市
地すべりで亡くなった人の慰霊碑の前で手を合わせる岩城峯子さん(左)=兵庫県西宮市

6434人が命を落とした平成7年の阪神大震災では、西宮市や芦屋市など兵庫県の阪神間でも多くの犠牲者が出た。だが神戸市ほどは注目されず、住民の入れ替わりが進んだこともあって地域住民の関心は薄れつつある。「神戸でさえ風化が懸念されているのに、このままでは震災の記憶が失われてしまう」。現状に危機感を募らせ、被災の記憶をつなぐために、活動を続ける人たちがいる。


「西宮でも多くの犠牲者が出たのに、注目されるのは神戸の話ばかり」。元兵庫県議の今西永兒(えいじ)さん(75)が嘆いた。

27年前の震災で西宮市上甲東園の自宅は全壊。周囲も壊滅状態で多くの死者が出た。近くの仁川百合野(にがわゆりの)町では大規模な地滑りが発生し、34人が犠牲になった。

「地滑り被害についてはしばらくの間、マスコミでも取り上げられたが、年々少なくなっていった」。同町周辺の住民も他の場所に移住したり、高齢者が亡くなったりして大半が入れ替わった。「記憶を語り継ごうにも当時を知る人が少なくなり、発信することが難しくなってきた」と焦燥感をにじませる。

西宮市の震災犠牲者は1126人で、神戸市の4564人に次いで多い。阪神地域ではこのほか、芦屋市で443人、宝塚市で117人が亡くなっているが、同様の理由で「語り部活動をする人が年々減っている」(芦屋市の担当者)のが実情だ。


そんな中、詳細な記憶の継承にこだわらず、「自分たちにできることを肩肘張らずに続ける。そこに意味がある」と活動する人たちがいる。地滑り現場に建てられた「仁川百合野町地区地すべり資料館」周辺で、シバザクラやコスモスなどの植栽や花壇の手入れをしている「ボランティア ゆりの会」のメンバーらだ。

古参の岩城峯子さん(78)はあの日、「飛行機が墜落したか、ガス爆発が起きたかと思った」というほどの激しい揺れと音で目覚めた。外に出てみると一面に土砂の山。その下からは助けを求める声が聞こえた。

幸いにも家族は無事だったが、通りを隔てた一帯が地滑り被害に遭い、多くの知人が犠牲に。小学生だった娘2人と仲が良かった同級生一家も亡くなり、「娘たちはひどくショックを受けた」と振り返る。

現場はすぐに整備されたが、生い茂る雑草を見かねて草取りをしたのが同会の始まり。メンバーは入れ替わりながら増え続け、現在は小学生から高齢者まで約70人が参加している。

花が好きで活動を続けている岩城さんは「きれいに咲いた花を見に来た人が、慰霊碑を目にするだけでも意味がある」と話す。岩城さんの孫も小学生のとき、34人が犠牲になったことを記した慰霊碑を見て「私の学校の1クラス分の人が一度に亡くなったんや」と驚き、震災に関心を持ったという。「この活動を次の世代に引き継いでいきたい」。岩城さんはそう誓う。

宝塚市では、武庫川の中州に積み上げた石で「生」の字を浮かび上がらせるオブジェが震災の追悼行事として定着している。同市の現代美術家、大野良平さん(62)が17年に制作。以降も大雨などで流され消失するたびに市民らとともに作り直し、昨年12月にできたオブジェで12代目となった。

石積みイベントの参加者には、震災を知らない親子連れも多い。「形あるものはいつか消えてしまうが、再生することに意味がある。『生』というテーマにも通じる」と大野さん。汗を流しながら石を積む、そのプロセスこそが大事という。「親子で震災を知り、命の大切さを学ぶことで、震災の記憶はつながれていくのだと思う」 (古野英明)

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