話の肖像画

真矢ミキ(13)戦力外通告に涙、オーディションに挑戦

宝塚退団後、女優として試行錯誤し、「道を確実に見失っていたころ」(本人談)
宝塚退団後、女優として試行錯誤し、「道を確実に見失っていたころ」(本人談)

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《宝塚退団から4年半。仕事がなく、ついに38歳のとき、当時の所属事務所から「戦力外通告」を受けた》


人間て、大きなショックを受けると、涙が前に出るんですね。戦力外通告を受けたときの私が、まさにそうでした。

でも、決して「ひどい」とは思わなかった。当時の事務所社長は、たくさんのことをご教示くださったし、自分でも、いつクビになってもおかしくないって、うすうす分かっていたんだと思います。「ありがとうございました。皆さんに感謝しています」って言った途端、大量の涙が前に出ました。

ところが帰りの車の中で、「今、私は何をやってもいいんだ。自由なんだ!」と、思ってもみなかった感情もこみ上げてきた。15歳から芸能活動を続けてきましたから、あらゆる束縛や責任から解放され、一瞬、羽が伸びるような感覚でした。


《しかし、1週間だけ解放感を楽しんだ後に冷静になり、猛烈な焦りを感じるようになった》


大変だこれは…と思った。これからは無収入です。とにかく、自分がすべきことを整理しようと、箇条書きにしました。まず車を売る、それを頭金にして、今のマンションから引っ越す。すべての生活水準を落とす―という感じです。駅に行って電車やバスの時刻表をもらい、歩ける距離は歩きました。

でも、そんな日々も苦にはなりませんでした。昔から私は逆風が吹くと、むしろ「生きてるな」って感じる方です。不器用ですし、ピンボールマシンじゃないですけれど、「私はあちこちの壁や障害にぶつかって、初めてピカッと輝ける人間なのだ、今はそのとき」と自分に言い聞かせました。さらに東京・青山ブックセンターに行って、芸能事務所が一覧できる分厚い本を買い、それを1ページずつ熟読。自分に合いそうな条件の会社に付箋を貼って、最終的に2、3社に絞り込みました。


《芸能界へのコネはない。飛び込み営業のように、いきなり意中の事務所に電話をかけた》


「熱意を伝えるには、日本の中心が縁起よさそう」と思い、わざわざ車で皇居の近くまで行き、降車してお濠(ほり)近くから電話しました。すると女性が出たので「社長さまにお目にかかりたいのですが…」と言ったところ、「私が社長です」とおっしゃった。おののきながら「マヤミキと申します」と簡単に自己紹介させていただき、お目にかかる約束をしました。

2日後、事務所に行ったら、その社長は私に関する今までの映像や書籍、すべてに目を通してくださっていて、ただただありがたかった。お化粧の上からも目の下のクマが見えました。その後、所属が決まりました。


《その社長から、最初に打診された仕事はオーディションだった》


社長は、「宝塚のトップスターだったあなたが、一からオーディションなんて嫌よね」と気遣ってくださいました。それは映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」のオーディションでした。私はもともと、このシリーズを見ていたこともあって、絶対に受けたい、と思った。「今の私に、失礼なんてことはないです」とその場で即答しました。

台本を読んだら、思い切り憎まれ役の警察官僚、沖田管理官役。救いようのない、上から目線の女性キャリアでしたから、新たな事務所からも随分、心配されたのですが、私の中には「絶対に、この役を取らなければ、今後の私はない!」と、何か予感のようなものがありました。(聞き手 飯塚友子)

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