「邪馬台国(やまたいこく)に至る。女王の都するところなり」。中国の歴史書、魏志(ぎし)倭人伝は邪馬台国に卑弥呼(ひみこ)がいたとはっきり記す。
「卑弥呼は、倭国の女王として纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)にいた」とするのが、同市纒向学研究センターの寺沢薫所長。奈良盆地東南部に位置する同遺跡は南北1・5キロ、東西2キロに及び、南側には卑弥呼の墓との説が根強い箸墓古墳がある。
昭和46年に発掘が始まり、昨年に50年を迎えた。平成21年には、弥生時代最大の建物跡など3棟が東西に並んでいるのが確認され、卑弥呼の宮殿かと話題を集めた。
同遺跡は、卑弥呼の時代と重なる3世紀初めに突然出現した。「過疎地にいきなり大都市が建設されたイメージ」と寺沢さん。卑弥呼について魏志倭人伝は「各地の王が共立した」と記すことから、大和(奈良)をしのぐ一大勢力だった北部九州や吉備勢力が主導して擁立し、纒向に都を置いたとの説をとる。