香港の「報道の自由」の牙城が崩れ落ちようとしていた昨年6月23日夜のことだ。最後の紙面の編集作業を行う大手紙、蘋果(ひんか)日報の本社ビル前に、市民数百人が集まっていた。
中国本土で生まれた鄭強(仮名、30代)も、その一人。涙が止まらなかった。彼にとって「自由」のシンボルだった蘋果日報のビルが、まるで炎に包まれているように見えた。
実は、鄭も蘋果日報で働いたことがある。中国当局から「スパイになれ」と迫られた敏腕記者だった。
香港の「報道の自由」の牙城が崩れ落ちようとしていた昨年6月23日夜のことだ。最後の紙面の編集作業を行う大手紙、蘋果(ひんか)日報の本社ビル前に、市民数百人が集まっていた。
中国本土で生まれた鄭強(仮名、30代)も、その一人。涙が止まらなかった。彼にとって「自由」のシンボルだった蘋果日報のビルが、まるで炎に包まれているように見えた。
実は、鄭も蘋果日報で働いたことがある。中国当局から「スパイになれ」と迫られた敏腕記者だった。