「末代までの恥」…開星の野々村監督の今

ギャラリーに展示された絵の前に立つ野々村直通さん=松江市
ギャラリーに展示された絵の前に立つ野々村直通さん=松江市

平成22年の春の甲子園で21世紀枠の高校に敗れ、「末代までの恥」「腹を切りたい」と発言し、辞任したことで話題となった島根の開星高校野球部監督の野々村直通さん(70)。開星を春夏計9度の甲子園出場に導いた名将は、一度は勇退したものの、令和2年に8年ぶりに監督に復帰していた。そのかたわら、定年後に松江市内にオープンした似顔絵ギャラリーで筆も取る。その二足のわらじ生活に迫った。

美術が天職

島根県庁にほど近い松江市のオフィス・商店街に、平成27年にオープンした「似顔絵&ギャラリー・ののむら」はある。ギャラリー内には、開星高校の元教え子、糸原健斗(阪神)、白根尚貴(元DeNAほか)らの似顔絵から大作の風景画までが所狭しと展示されている。

「引退後は、もう野球を指導する気持ちはなかった。ここで似顔絵や結婚式のウエルカムボードを描いたり、美術展に出展する作品を創作していたんです」

厳しく生徒を叱咤(しった)する姿勢と、こわもての風貌から「ヤクザ監督」とも呼ばれた野々村さんだが、広島大学教育学部美術科を卒業した美術教師で、「山陰のピカソ」という異名も持つ。

それだけに「これからは、自分の本家本元の美術をやろう。片手間で野球を教えることはよくない」と考えていたという。

独自の教育理論が人気を呼び、教育評論家としてテレビ出演や各地での講演会にも引っ張りだこで、充実したセカンドライフを送っていた。「やはり自分の天職は美術だなと。かけがえのない時間でした」

しかし、令和2年3月に監督へ復帰する。その理由はなんだったのか。

開星高校野球部からプロ入りした教え子らの似顔絵も展示されている=松江市
開星高校野球部からプロ入りした教え子らの似顔絵も展示されている=松江市

8年ぶりの復帰

実はその前年に、当時の同校野球部監督の体罰問題が発覚した。後任の監督の人選も難航し、校長から「野々村先生しかいません」と強い要請を受け、再登板を決めた。

ギャラリーは平日の午後3時に閉め、グラウンドへ向かう。土日や長期休暇の間も店を閉める。「絵に関する収入はほとんどゼロになった。講演会もできなくなったし、収入面では大変ですよ」と笑う。

復帰に際し、「校長先生から言われたのは、『あいさつをきちんとできる野球部にしてください』ということだった」

野々村さんが監督を務めていた当時から時代も変わり、何より大事にしてきた礼儀を大切にする風土も薄れていた。チームでミーティングを開いても、「選手たちは聞く耳を持たない感じだった」という。

運動部はあいさつができて、さわやかでないといけない。その立て直しから始めたという野々村さんの復帰1年目は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、春、夏ともに甲子園大会が中止となり、昨年も甲子園出場は果たせなかった。

昨年12月で70歳を迎えた。「若いころと同じようにはできない。ノックも普段は教え子の部長に任せ、それを指導する。たまに自分でノックをすると、4、5分でフーフー息があがってくる。選手たちもちょうど孫の世代で、おじいちゃん野球だな」と苦笑するが、選手たちのミーティングに対する姿勢などは、復帰当初と変わって真剣なものになっているという。

開星高校の野々村直通監督。野球と絵画の二足のわらじを履く=松江市
開星高校の野々村直通監督。野球と絵画の二足のわらじを履く=松江市

あの発言の背景は

開星高校野球部のメンバーは、ほとんどが地元出身者だ。開星OBでプロ入りした糸原や白根、梶谷隆幸(巨人)など7人はいずれも島根の出身。「地元を大切にしないと、強くならない。開星にあこがれて県外から入学する選手は受け入れるが、特にいい選手を県外から集めてくるようなことはしない」

平成22年春のセンバツの初戦で、21世紀枠出場校の向陽(和歌山)に敗れ、「末代までの恥。腹を切りたい」という発言も、糸原や白根を擁し、「島根県勢でも勝ち上がれる」と期待されていた強い思いからの言葉だった。

いまだ甲子園での優勝経験がない島根県勢。「中国地区のトップ校が恥ずかしい試合はできないと思っていたのに、あのような結果となり、最後にやけになってしゃべったのが正直なところ」と振り返る。

ただ、「今年から開星は強くなる」と野々村さんは力を込める。「いい選手もたくさんいるし、チームの雰囲気も良くなった」。山陰にある島根県は、雪が多いなど気象的にも練習しづらく、気質としても争いを好まない。

「相手をぶちのめしてやるという強い気持ちを持ってほしい。戻ったからには、俺も男になる」。ギャラリーで電子タバコをくゆらせながら、野々村さんはそう話した。(藤原由梨)