話の肖像画

真矢ミキ(10)瓢簞(ひょうたん)から駒⁉実現した武道館公演

篠山紀信さん(右)と写真集発表の記者会見で=平成9年7月
篠山紀信さん(右)と写真集発表の記者会見で=平成9年7月

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《平成7年にトップスターに就任して以降、ブロードウェー・ミュージカル「ハウ・トゥー・サクシード」や「Ryoma~硬派・坂本竜馬!Ⅱ~」などに主演。トップ就任まで15年間、温めていた自然な男役像を体現した》


それまでのトップの役は、正統派二枚目がほとんどでした。でも〝革命児〟の私を面白がってくださる演出家は、三枚目や自由人の役をふってくださった。「ハウ・トゥー」は努力せず出世しようとする青年のコメディーですし、幕末物も従来のトップの役は、患いながら信念を貫く沖田総司だと思います。でも私はボサボサ頭にブーツの坂本竜馬役。役の幅が広がり斬新で、楽しかったですね。

私だって、本当は軍服にマントを翻すような古典的な宝塚の男役が好きです。ただ私の身長(166センチ)で、目指すものではないと思った。例えば麻実れいさんのように美しく、身長があって手足も長い方が、おやりになるからすてきなんです。


《真矢さんには「宝塚初」という言葉が付いて回る。9年には、篠山紀信さん撮影のソロ写真集「Guy」を出版。3日間のベトナムロケで撮り下ろした写真は、物議を醸した。真矢さんの〝女装〟や、胸の谷間が見えるカットもあったからだ》


以前、篠山先生が当時のトップ4人(当時は4組)を撮影する企画があって、私の異端性を気に入ってくださったんです。「この人が一番、撮られている意識がない。この子で1冊、撮ろう」って。うれしかったですね。ただ従来の男役にはないカットもあったので、劇団理事たちが会議室に集まり、全部で100枚くらいあった写真を一枚一枚、チェックしたそうです。

ちょうどその頃、劇団で春日野八千代先生(戦前から戦後にかけ、宝塚を牽引(けんいん)した大スター。当時、理事)と一緒になりました。写真チェックの直後で、私の顔を見て「何時(なんどき)も、時代を動かすのは大変だよね。私も経験しているから分かるよ」っておっしゃったんです。戦争を挟んで、存続の危機にあった宝塚を守ってくださった春日野先生が、畏れ多くも同志として私を見てくださった。その言葉に、すごく救われました。


《爆発的人気に後押しされ、10年には現役タカラジェンヌとしては初めて、東京・日本武道館でのソロコンサート「MIKI in BUDOKAN」を開催した》


宝塚にはある程度、慣習があって、退団を発表するとバウホール(兵庫・宝塚大劇場に隣接する小劇場)公演、ホテルでのディナーショー、という一連の流れがありました。

私は、それに疑問を抱いた。今後の宝塚のため、一番動員できる今、最後まで観客層を広げたかった。宝塚を見たことのない方も、〝見ず嫌い〟の人も集められる場を作りたかった。なので当時の花組プロデューサーに、「そのコース、誰が決めたの? もっと大勢入れる、例えば武道館とか駄目なの?」って、食ってかかりました。

そうしたら翌日、そのプロデューサーが何と、「武道館、取れたよ」って言ってきた(笑)。ものの例えで大げさに言ったつもりだったのに、私の関西公演と東京公演の間の2日間、ちょうど武道館が空いていたって言うんです。「本当に取っちゃったんですか!」って繰り返し言いました。1万人の会場で3回公演ということは、3万人集めなければなりませんから。


《後に覚悟を決め、つんく♂さんをトータルプロデューサーに迎えたコンサートは、宝塚になじみのない人も押し寄せ大盛況。社会的なニュースになった》(聞き手 飯塚友子)

(11)へつづく