多面鏡

止まらぬ無差別殺傷 「無敵の人」を生んだのは誰か 東京社会部長・酒井孝太郎

来歴をたどると、自暴自棄となった精神状態が透けてみえなくもない。だが、いとも簡単に「死ぬ」「殺す」との発想に至ってしまうのはなぜなのだろうか。

「無敵の人」というインターネットスラング(俗語)がある。社会的に失うものがないため、躊躇(ちゅうちょ)なく凶悪犯罪に及んでしまう者を指す。思えば近年、似たような無差別殺傷事件が世間を震撼(しんかん)させてきた。

平成30年6月、東海道新幹線車内で乗客を切りつけ1人を殺害、2人に重傷を負わせた男は「自分で考えて生きるのが面倒くさかった。他人が決めたルール内で生きる方が楽だと思い、無期懲役を狙った」などと供述。服部容疑者も参考にしたという昨年8月の小田急線車内刺傷事件で逮捕された男は、調べに「人生うまくいかない」「勝ち組っぽい女性を見つけて狙った」と話した。

犯行の引き金はさまざまなようだ。17人が死傷した秋葉原通り魔事件(平成20年6月)の加藤智大(ともひろ)死刑囚の場合は、自身がかかわるインターネットの掲示板を荒らされたことだったという。「たかがそんなことで」と嘆いてみても仕方ない。彼にとって掲示板こそが安息の地であり、破壊され、居場所がなくなったことで「無敵の人」に堕してしまったのだろう。

加藤死刑囚は著書『解+』(批評社)で、こう記している。「『普通の人』は自分で自分の存在を確認できるようなのですが、私にはそれができません。私は、誰かのために何かをし、評価をされなくては、生きていけない人です。(中略)評価が途切れると、急に不安になります。自分がこの世に存在しているのか、という不安です。だから私は『誰か』を求めます。誰かのために何かをさせてもらえる、その『誰か』です」

人間は「社会」との紐帯(ちゅうたい)が切れると、猛烈な孤独感や疎外感にさいなまれ、死の想念にとらわれてしまう。周囲のサポートや制度的なセーフティーネットの必要性が叫ばれるゆえんだ。

そうした「こぼれ落ちていく人」の存在に気づけなかったとき、あるいは意識的に気づかないふりをして、「自業自得」「自己責任」と突き放したとき、歪(ゆが)んだ格差社会の中で「無敵」意識が急激に増大するのではないか。

昨年末の大阪放火殺人も然(しか)りだが、無関係の人々がモンスターに襲撃される理不尽な事件が起きるたび、抑えようのない怒りと、悔恨にも似た複雑な感情が交互に押し寄せる。

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