ザ・インタビュー

仕事も遊びも一生懸命 役者・エンタテイナー 井上順さん著『グッモー!』

「毎日、楽しいことを見つけながらお仕事ができる。こんなうれしいことはないね」と話す井上順さん(飯田英男撮影)
「毎日、楽しいことを見つけながらお仕事ができる。こんなうれしいことはないね」と話す井上順さん(飯田英男撮影)

「グッモー(グッドモーニング)!」

毎朝ツイッターでこうつぶやくのが日課となっている。俳優、歌手、司会とマルチな活躍で人々を楽しませてきたエンタテイナー。芸能界での活動は今年で59年を数える。本書は、生い立ちから現在までを振り返った初のエッセーだ。

「これまでも何度か出版のお話をいただきましたが、恥ずかしかったのと、そのころは家族や周りの人も元気だったのでピンとこなかった。でも、もう語ってもいいかなと。本を出そうということになってありがたかったのは、自分の体から言葉がポンポン出てきたこと。編集の方に感謝ですね」

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兄と姉がいる3人きょうだいの末っ子で、生まれも育ちも東京・渋谷。生家は富ケ谷にあった祖父経営の「井上馬場」で、父親は獣医として働いていた。4、5歳のころ、父親の女性問題で両親が離婚。離婚後に自ら会社を立ち上げバリバリ働き始めた母親に育てられる。母親はいろいろな業界の人とのつきあいも多く、人脈が豊富な人だった。

「人付き合いの基本は、母を見ていて教わった。それと子供時代、外で泥んこになって遊んだのもよかった。今みたいに家の中でゲームをやるということはないからね。町内だけでなく、隣町の子供もいっしょに遊んで友達になった。人と交わることの大切さを知らず知らずのうちに学んでいた」

母親の紹介で、中学1年生のときに入ったのが「六本木野獣会」。ミュージシャンや俳優、デザイナーなどを目指す若者たちの集まりだ。放課後になると野獣会へ行き、歌の練習をしたり楽器を弾いたりして最終電車ぎりぎりまで遊んでいた。高校生のとき、「ザ・スパイダース」のリーダー、田辺昭知(しょうち)さんに誘われ、7人目のメンバーとして加入。甘いマスクと歌声でファンを魅了し、「夕陽が泣いている」「あの時君は若かった」などのヒット曲でGS(グループ・サウンズ)ブームを牽引(けんいん)した。

「野獣会でもスパイダースでも僕は一番年下。先輩ばかりなので、みんな教えてくれるし、怒ってもくれる。とってもいい位置にいたと思う」

スパイダース解散後も、テレビドラマや映画、CMへの出演、音楽番組の司会と、仕事は途切れることがなかった。唯一の挫折体験といえるのが、50代半ばでなった難聴だ。映画や芝居の声が聞き取りにくく、人と話すときに聞き返してしまう。病院へ行くと感音性難聴で、治療法はないと告げられた。

「何度も聞き返すのは失礼なので、次第に人に会うのを避けるようになっていた。でも、そんな自分に、『これは井上順じゃない』と気付いた。お医者さんに相談すると、補聴器を勧められ、つけたら生まれ変わった。目が悪いのを恥ずかしいと思う人はいないが、難聴は隠したくなるみたいで、悩んでいる人が意外に多い。それなら自分が『難聴の星』になろう、と。年1回の検査や、自分の耳に合った補聴器をつけるよう勧めています」

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本書では渋谷の町の魅力も紹介、再開発が進む渋谷のガイドブックとしても楽しめる。名誉区民でもある井上さんの一押しは明治神宮で、海外の友人が来たときは最初に連れていくという。

「今、毎日が楽しくてしようがない。僕は、自分の歌もお芝居もうまいと思ったことがないけど、自分に足りないと思うからこそ一生懸命やってきた。人に自慢できるのは、なんでも一生懸命やることかな、仕事でも、遊びでも。僕ももう少し頑張るので、みなさんも人生の旅を楽しんで!」

3つのQ

Q井上さんといえばダジャレ。最近最も受けたダジャレは?

ツイッターで渋谷のことをツイートしているのですが、「よくそんなにつぶやくことありますね」と言われて、「生まれも育ちもつ(し)ぶやくだから」

Q最近読んだ本でお気に入りは?ちょっと前の本ですが、海外の推理小説『三秒間の死角』。これにはしびれました。直木賞候補になっている逢坂冬馬の『同志少女よ、敵を撃て』もすごかった

Q得意な料理は?

イタリアンです。ニンニクとオリーブオイルを使ったペペロンチーノは友達のイタリア人シェフにおいしすぎるとほめられました

いのうえ・じゅん 昭和22年、東京都渋谷区生まれ。16歳のときグループサウンズ「ザ・スパイダース」に加入。多くのヒット曲で人気を博す。解散後はソロ歌手として活動。フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」では司会を担当した。現在もドラマ、映画、CMなど多岐にわたって活躍中。令和元年に渋谷区名誉区民に選ばれ、魅力発信に尽力している。