話の肖像画

真矢ミキ(8)阪神大震災に呆然 思いは東北支援にも

阪神大震災の経験から、東日本大震災の発生時には被災地支援のためにホイッスルを販売した (本人撮影)
阪神大震災の経験から、東日本大震災の発生時には被災地支援のためにホイッスルを販売した (本人撮影)

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《平成7年1月17日午前5時46分、阪神大震災が発生した。当日は兵庫・宝塚大劇場で、花組トップスター、安寿ミラさんと、娘役トップ、森奈みはるさんのサヨナラ公演「哀しみのコルドバ」「メガ・ヴィジョン」の上演が予定されていた》


当時、劇場から遠くない場所に、手ごろな一軒家を借りていました。震度7って、体験したこともない揺れです。寝ていましたが、1、2メートルも飛ぶようで、ベッドから落ちないよう、つかまるのに必死でした。揺れも長く、「このままでは屋根が落ちる」と危険を感じました。

幸いけがはありませんでしたが、サイドボードの中の物はすべて飛び出し、陶器、ガラス類は全部、壊れました。ファンの方からいただいた人形だけ無事でした。そして外に出たら、見慣れた風景が激変していて、大きな地割れや、倒壊した家が目の前に広がっていた。現実とは思えず「何、これ…」と呆然(ぼうぜん)としました。


《宝塚大劇場の中はスプリンクラーの水があふれ、衣装部屋まで水が流れ込んだ。劇場脇を走る阪急電車も脱線、横転した》


携帯電話が通じなくなってしまったので、公演があるかどうかも分からない。電気も止まって、テレビも映らないから状況も分からない。寒さの中、家中に散乱する割れ物の中で途方に暮れていたら、その日か翌日か、庭先に黒いコートを着た人が立っていた。安寿さんでした。「ミキ、生きてた?」って。ビックリしました。そしてその後、私たちは公演中止を知らされました。


《生徒(出演者)や団員の安否確認が進むうち、バウホール(宝塚大劇場に隣接する小劇場)の細川勝幸支配人が死亡したとの知らせが入る》

細川さんは私がバウに出演すると毎回、「僕は君がトップになるのが楽しみで仕方ない」って励ましてくださった方です。訃報に、ひたすら泣きながら避難したのを覚えています。

当時は実家も近所でしたが、余震も多かったので地割れが開くのが怖くて、なかなか行けませんでした。私の自宅は床も冷蔵庫も斜めです。被害状況の申請のため、よく球体状の物を床に置いて、調べましたね。


《中断を余儀なくされた安寿さんのサヨナラ公演は3月、劇場・飛天(現梅田芸術劇場)で「細川たかし特別公演」の日程を譲り受け、再開した》


大変な状況下、安寿さんのサヨナラ公演のため、細川たかしさんをはじめいろいろな人が協力を申し出てくださった。そんな善意に、私たちが被災地を応援できるのは、やはり舞台の再開しかないと思いました。

今、宝塚で振り付けの仕事もされている安寿さんは、コロナ禍で公演中止になった後輩を気遣っていました。不運も時を経て、寄り添える経験になっていらっしゃるのだと思いました。


《真矢さん自身も震災経験者として、平成23年の東日本大震災発生時はひとごととは思えず長期支援プロジェクト「Hands Together」を始め、ホイッスルを販売。収益を寄付した》


非常時に居場所を知らせる笛です。がれきに埋まると声がかれ、助けが求められなくなるケースが多い。日常的に忘れないようキーホルダーにして、困ったときにいつでもお役に立ててほしい、との願いを込めました。かつて関西を応援していただき、その再生を間近で見てきたので、今度は東北を応援する番だと強く心が動きました。(聞き手 飯塚友子)

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