阪神・東日本大震災の被災者 互いの体験語り合う

東日本大震災の被災者(手前)と阪神大震災の被災者が語り合う交流会で話す甲斐研太郎さん=9日午後、神戸市中央区
東日本大震災の被災者(手前)と阪神大震災の被災者が語り合う交流会で話す甲斐研太郎さん=9日午後、神戸市中央区

平成7年1月の阪神大震災で心身に障害を負った震災障害者と、23年3月の東日本大震災で被災し関西に避難している人たちの交流会が9日、神戸市中央区の市勤労会館で開かれた。被災者計10人が参加し、互いの被災体験を語り合った。

神戸市北区の甲斐研太郎さん(73)は阪神大震災で、同市東灘区の木造2階建ての自宅が全壊。落ちてきた屋根とタンスに足が挟まり、身動きができなくなった経験を語った。

暗闇で状況がまったく分からない。「死ぬほどの痛み」が足を襲う中、救出されるまでの時間は、気が遠くなるほど長かった。20時間後に救出されたが、長時間足を圧迫されたことで筋肉が壊死(えし)する「クラッシュ症候群」で、11カ月間の入院を余儀なくされた。

皮膚の移植手術や血管を縫合する大手術を経て、装具なしでも歩けるように。ただ、足の指を動かす腱(けん)が癒着したため爪先を伸ばせず、足首も曲げられなくなった。

追い打ちをかけたのが、金銭的な打撃だ。手術、入院、リハビリなどの医療費の「全額免除」は、震災が発生した年で打ち切られた。入院し、リハビリを受けて社会復帰するまでは2年を要し、その間の自己負担額は約600万円。収入がない状況下で、とても苦しい負担だった。

甲斐さんは「日本は地震が多いのに、震災障害者への関心が薄すぎる。災害で満足に生活ができなくなった人たちに光を当ててほしい」と訴えた。

東日本大震災で福島から大阪への避難を余儀なくされた高校1年、熊田和真さん(16)=大阪府茨木市=は「避難してすぐは文化や言葉の違いで、友達ができても本当の自分として付き合えず、苦しい思いをした」と打ち明けた。

当時は5歳で、地元に残る友人や父親と離れ離れとなり、なじむまで数年かかったという。「避難後に苦しんでいる人はたくさんいる。今はコロナ禍で難しいが、離れ離れになった故郷の友人や家族に会って、元気で暮らしていることを伝えたい」と語った。

交流会を主催したボランティア団体「よろず相談室」(神戸市)の牧秀一さん(71)は「大災害で普通の生活ができなくなった人は多いが、その後の苦悩や実態は明らかにならないことが多い。交流会をきっかけに、被災者の今が知られるようになってほしい」と話した。(鈴木源也)