北極点に日本人初単独徒歩で到達した旅人の実像

会場に掲げられた河野兵市さんの肖像(株式会社こころに夢提供)
会場に掲げられた河野兵市さんの肖像(株式会社こころに夢提供)

北極点に日本人として初めて単独徒歩で到達した愛媛県出身の冒険家、河野兵市さん(昭和33~平成13年)の足跡をたどる企画展「一人北極点をめざした〝旅人〟」が松山市上野町の愛媛人物博物館(愛媛県生涯学習センター内)で開かれている。新潟県在住の河野さんの長男、河野遼兵さん(28)は父の故郷での展示に、「結果を見ると、スーパースターや超人のように思われるが、実はたくさんの挫折や失敗があった。やろうと思ったことをやり続ける思いの強さを感じてほしい」と話している。

北極点から故郷・愛媛への旅を前に、壮行会で決意を述べる河野兵市さん(平成13年2月撮影)
北極点から故郷・愛媛への旅を前に、壮行会で決意を述べる河野兵市さん(平成13年2月撮影)

ミカン背負って

河野兵市さんは愛媛県瀬戸町(現伊方町)生まれ。5大陸を徒歩や自転車でめぐり、数々の冒険を成し遂げた。平成13年3月、北極点を出発して愛媛を目指す「リーチング・ホーム」と名付けた旅の途中、43歳で亡くなった。

企画展では、頑強な肉体と精神の礎として、河野さんが子供のころから家業のミカン栽培を手伝い、百キロ近くものミカンを背負って山を降りていたこと、高校へは片道17キロを自転車通学したことなどを紹介している。

河野さんは高校卒業後、大阪のガス会社に就職したが1年で退職。昭和52年から約1年半をかけて日本一周をした。56年に世界一周を目指す旅に出て、5大陸に足跡を残した。資金はアルバイトをしてためていたという。

57年にはアラスカのユーコン川約2千キロをいかだとゴムボートで下り、翌58年には登山技術を学んで北米最高峰、マッキンリー(デナリ山、6194メートル)に登頂。北中米の山を登り、61年には南米最高峰、アルゼンチンのアコンカグア(6960メートル)にも登頂した。

62年にヒマラヤ山脈のナンガパルバット(8125メートル)にアタックしたものの、6700メートル付近で氷塊を顔に受け27針縫う重症を負って撤退。帰国して63年に、順子さん(64)と結婚した。

その後も河野さんの旅への意欲は衰えることを知らなかった。旧ソ連パミール国際キャンプに参加し、7千メートル級の山に登るなどし、平成2年にはアフリカのサハラ砂漠をリヤカーをひいて徒歩縦断。サハラでの歩行距離は実に約5千キロという。

サハリ砂漠縦断で使ったリヤカーと、来場者に河野兵市さんについて説明する専門学芸員の冨吉将平さん(右)
サハリ砂漠縦断で使ったリヤカーと、来場者に河野兵市さんについて説明する専門学芸員の冨吉将平さん(右)

一度はギブアップ

河野さんの次の目標は北極点。6年に訪れたカナダのレゾリュート村で、犬ぞりで世界初の北極点到達を果たした植村直己さんをサポートしたベーゼル・ジェスターゼンさんと出会い、教えを受けて極地訓練を開始した。

9年3月4日、カナダ最北端の島、ワードハント島を出発。マイナス40度を下回る厳しい気温に、吹き荒れるブリザードと闘いながらそりを引き、2カ月をかけて5月2日、日本人として初めて、世界では3人目となる北極点単独徒歩到達を成し遂げた。直線距離にして約780キロ、実際の歩行距離は約1千キロだった。

遼兵さんは「北極は氷の上なので、進んだと思っても流されて後戻りしてしまうこともあった。3歩進んで2歩下がるような旅だった」と語る。時には折れそうになる心を支えたのは、極限への挑戦を応援してくれる5千人以上の支援者に応えようという気持ちだった。

遼兵さんによると、一度はギブアップしたという。しかし、ベースキャンプから「伊方町や瀬戸町の人たちすべての思いが、あなたのそりに乗っている。頑張れ」と励まされ、地元をはじめ、すべての支援者のためにも-と続行を決めたのだった。

北極点で掲げられた鯉のぼり
北極点で掲げられた鯉のぼり

鯉のぼりのエール

サハリ砂漠縦断時のリヤカー、北極点遠征までに使ったそりや、ビーバー皮の手袋、写真パネルなど173点が展示されている。その中には鯉のぼりもある。

北極点は5月5日の「こどもの日」に到達する目安で河野さんはトライしていた。鯉のぼりは日本の子供たちへのエールを込めて、北極点で実際に掲げられたのだった。

「超人のように思われるが、サハラから北極点へは5年かかっている。オリンピックのアスリートと同じで、やりたいことを素直にまっすぐにやるために、何をすればよいのかを考え、準備をしていた」と遼兵さんは言う。

愛媛県観光スポーツ文化部の専門学芸員、冨吉将平さんも「河野さんは『冒険家』という肩書を好んではいなかった。毎日大学ノートに1~2ページつけていた日記でも、一カ所も冒険家は使っていない。行きたいところに行く旅人だと言っていた」と紹介した。

河野さんの偉業を後世に伝える活動について、遼兵さんは「これまで20年間、母がやってきました。今年からは私が父や母の思いを継ごうと思っています」と決意を述べた。

企画展は3月13日までで、入場無料。(村上栄一)