毎年1月2日は落語立川流の新年会の日です。立川流の家元、立川談志の誕生日も1月2日。そのお祝いも兼ねて、家元の生前から一門がこの日に集まってきました。しかし世情を考えて大勢で集まるのを避けるため、去年に引き続き今年も新年会は見送りになりました。
新年会は一門でお寺に集まり、家元のお墓参りをするところから始まります。今年の1月2日は一人でお墓参りに行こうかと考えましたが、やはり多くの人が集まるかと思い、元旦に行くことにしました。
去年の11月21日で、家元談志が亡くなってからちょうど10年。その前後でいろんな落語会が催され、また多くの書籍が出されました。その中からこの年末年始に2冊ほど読みました。
1冊は「談志の日記1953 17歳の青春」です。立川談志がその師匠の五代目柳家小さんに入門したのが昭和27年。その翌年、昭和28年に付けていた日記が、1冊の本になっています。まるまる1年分です。
入門した頃の高座名は「立川談志」ではなく「柳家小よし」。前座として修行の真っただ中、いろいろ葛藤しながら落語に打ち込む姿や、家族や友人との日常、それから恋の相手を慕う気持ちなどが綴られています。あの破天荒な大師匠の談志も、他の若者と変わらない青春時代を送っていたのかと、少し驚きました。
また、昭和28年の落語界が、その当時の前座の目を通してそのまま描かれていて、演芸ファンとしてもすごく興味深い資料でした。八代目桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭圓生、五代目柳家小さんといった昭和の名人たちのいる楽屋風景が目の前に浮かんできました。
そしてもう1冊読んだのは、立川談慶師匠の「天才論 立川談志の凄(すご)み」です。こちらは落語立川流の真打である談慶師匠の前座修行の様子と、家元談志の芸に対する厳しさが中心に描かれています。
立川談志の残した言葉がたくさん並んでいて、落語の名人の名言集でもあります。談慶師匠がその言葉を聞いた当時を思い出しながら、改めていろいろと分析し考察しています。談慶師匠が厳しい修行をどのようにして乗り越えてきたのかを知り、立川流の若手として後に続く私も、身の引き締まる思いでした。
それにしても、日記を書いた頃は柳家小よし17歳。談慶師匠の描いた家元は50代から60代。時代に開きがあるとはいえ、家元談志の人間の幅の広さを改めてうかがい知ることができました。そんなことを考えながら手を合わせた、元旦のお墓参りでした。
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立川らく兵 宮崎県出身。平成18年8月、立川志らくに入門。24年4月、二ツ目昇進。