一聞百見

国交省から転身してバナナ栽培 西野仁さん

バナナの収穫に初めて成功した西野仁さん=和歌山県紀の川市(柿平博文撮影)
バナナの収穫に初めて成功した西野仁さん=和歌山県紀の川市(柿平博文撮影)

一年を通してさまざまなフルーツが収穫できる全国屈指の「フルーツ王国」和歌山県紀の川市。「バナナとパイナップル以外何でもとれる」と地元でもうたわれてきた市に、技術系の国家公務員を辞めて関東から移住。日本で流通するバナナは輸入が大半で、国内栽培は沖縄県、鹿児島県など一部に限られる中、バナナの栽培法を独学で探究。昨年秋、ついに初収穫に成功した。まだ収穫量は少ないが、「バナナを紀の川市のフルーツに仲間入りさせたい」と今後、栽培量を増やしていく計画。将来は、関西国際空港経由でアジア圏への海外輸出も視野に入れている。

フルーツ王国の仲間に

バナナ園は、京奈和自動車道・紀の川インターチェンジ(IC)から車で10分ほどの田園地帯にある。面積は約600平方メートル。ほぼ等間隔で緑色の葉のバナナ約100本が生い茂る。

バナナは一般に「木」と思われがちだが、幹は葉が何層にも重なり合った構造で、実は「草」。「地球で一番大きな〝雑草〟かも」と笑う。

見事に実ったバナナを眺める西野仁さん(山田淳史撮影)
見事に実ったバナナを眺める西野仁さん(山田淳史撮影)

昨年11月1日、栽培から4年目で苦労の末に初収穫の日を迎えた。まだ青い状態のバナナを感慨深そうに眺め、丁寧に収穫していった。

「正直ほっとしました。本当にバナナが収穫できるか分からない状態で栽培を始め、プレッシャーがあった」と振り返る。

兵庫県・淡路島の農家に生まれたが、農業に詳しいわけではなかった。

少年時代は柔道や野球などスポーツに明け暮れた。一方、勉強では理系の教科を好み、中学・高校時代は数学や物理の成績が学年トップクラスだったという。

法政大学の工学部(現デザイン工学部)に進学。大学院の修士課程中、進路を考えたが、当時はバブル崩壊後の氷河期。悩んだ末に、技術系の国家公務員を目指した。運輸省(現国土交通省)に入り、主に港湾や空港の設計などを担当した。

転機は平成17年、関西国際空港へ出向した際に訪れた。同空港は海外への空の玄関口で、航空機は24時間運用可能。日々いろんな商品が海外に輸出されていくのを目のあたりにした。

「関空の近くなら、昼に収穫した農産物を深夜便に搭載すれば、翌朝にはアジア圏のスーパーに並べることができると気付いたんです。大阪府よりも、山を越えた和歌山県の紀の川市の方が農地を確保しやすいと思いました」

紀の川市への移住を決意した。関空への出向を終えて、横浜市に移住した後、22年、東京で開かれた新規就農者フェアに参加。和歌山県のブースを訪れ、紀の川市で開かれる農業経営塾を紹介された。

そして翌23年、長年勤めてきた国家公務員を辞め、生活拠点を紀の川市に移した。

塾では、農業に必要な肥料の管理や農産物の出荷方法をはじめ、農業経営の会計方法まで細かく学んだ。

「この時はまだ、バナナのことは考えていませんでしたけどね」

紀の川産を海外へ

西野仁さんが栽培するバナナ。園内では次々と株も増えている=昨年11月、和歌山県紀の川市(柿平博文撮影)
西野仁さんが栽培するバナナ。園内では次々と株も増えている=昨年11月、和歌山県紀の川市(柿平博文撮影)

平成23年に関東から移住した紀の川市。関西国際空港まで車で40分ほどの距離だが、「気候も温暖で、故郷の淡路島に似ている」と感じた。

市内で4千平方メートルの農地を借り、まずはジャンボレモンやマカダミアナッツ、ロメインレタスなど日本では比較的珍しい農産物の栽培を無農薬で始めた。

そんな中、岡山県内で独自技術でバナナの栽培に成功したと知り、その可能性に注目した。

「僕にもできるのでは、と気軽な感じで始めたんです」。いろいろな品種を調べた結果、最終的に選んだのは、東南アジアや米ハワイなど気温が高い地域に多く自生し、耐寒性も強い「アイスクリームバナナ」だった。

冬が寒い日本で栽培するには本来、ビニールハウス栽培が望ましいが、多額の投資が必要なため、コストを抑えられる露地栽培を決意した。

30年に栽培を開始。一昨年までの3年間は毎年、6本の苗を購入して育ててみた。

1年目は自身の管理不足もあり、5本が枯れてしまった。希望を託した最後の1本も、翌年春の遅霜で枯れた。

「肥料は何が良いか、どのタイミングで与えないとダメなのか、植え付けの間隔は、水やりの頻度や越冬対策は…。栽培資料がなかったので、全くわかりませんでした」と悪戦苦闘した日々を振り返る。

それでも、失敗の反省を後の教訓として生かした。特に夏場は水やりを欠かさず、肥料も定期的に与えるようにした。越冬対策として麻製のシートと断熱材、ビニールシートの三重構造でバナナを巻いて寒さから守った。

 「バナナがフルーツ王国・紀の川市の特産品になれば」と語る西野仁さん=和歌山県紀の川市(柿平博文撮影)
「バナナがフルーツ王国・紀の川市の特産品になれば」と語る西野仁さん=和歌山県紀の川市(柿平博文撮影)

すると順調に成長。ついに株分けができるまでになり、園内に次々と増えた。

3年目の一昨年9月、やっとつぼみが出た。しかし時期が遅かったため、実も小さく、食べるまでには至らなかった。

そして4年目の昨年。今度は7月につぼみが出た。そして11月1日、長さ20センチほどのバナナ18本を収穫することに初めて成功した。

早速、市内で開催されたJA関連のイベントに景品用として出荷。さらに市側が「バナナとパイナップル以外何でもとれる」とPRしていたことを知り、進呈した。

受け取った市ではリンゴと一緒に袋に入れて追熟。さらに袋から出して室内の天井からつるした。すると3日後には、バナナらしい黄色に色づいた。

試食した中村愼司市長は「紀の川市の露地で、こんなに大きなバナナができたとは…。すごいなあ」と驚いたという。

「最初は青い色をしていたので、『本当にバナナの味がするんだろうか?』と心配でした」と西野さん。「酸味があったものの、普通のバナナの味がしました。思った以上に味がよかった」と満足そうに話す。

今後バナナで生計を立てていくには、年50本以上、できれば100本以上は収穫したいと考えている。

「紀の川市でバナナを生産する人を募り、株分けして栽培量を増やして、市のふるさと納税の返礼品に使われるような特産品になれば。栽培量を増やし、香港やシンガポールなどのアジア圏でも販売したい」。バナナ栽培にかける夢は熟し始めている。〈聞き手 和歌山支局・山田淳史

にしの・まさし 昭和48年、兵庫県五色町(現洲本市)生まれ。法政大学大学院修士課程を終え、運輸省(現国土交通省)に入省。技術系の国家公務員として、港湾や空港の設計などを担当した。関西国際空港に出向していた際、農業への道を志し、平成23年に退職。和歌山県紀の川市に移住した。現在は隣の岩出市に在住し、妻と2人暮らし。趣味はレザークラフトで、財布やキーホルダーなども作る。