新しい年を迎えた。
しかも、久々に雪に覆われたお正月で、冷え込み方も際立っていた。おかげで、積もった雪がさらさらしている。
それを踏みしめて歩くと、キュッキュッと音がする。
その音を聞いていると、北海道生まれの私としては、気持ちが高揚し、さらに果てしなく、どこか遠くまで歩いていきたくなる。
でも、痛めた腰が…、とか歩けば左足が痛くなる…、などと思って、部屋にこもって窓から風に舞う雪をひたむきに眺めていた。
雪が際限もなく風に舞いながら落ちてくる光景に浸っていると、昨日のことのように遠い昔の光景ばかりが浮かんでくる。
猛吹雪の中、冒険家になったつもりで、あえて一寸先も見えない向かい風に一人で向かっていく、幼くも勇敢な自分の姿とか。
昔の親は、基本的に日々子供をほったらかしにしていたので、どれほど私が危険なことをしていたかは、つゆ知らずだった。
女の子なのに裏山の奥に自分の秘密基地を作っていたし、毎日、どれほど一人で、好き勝手に行動していたことか。
とくに冬の危険な一人遊びに、私はいつも熱中していた。
一度、物置き小屋の屋根から積もった雪の中に飛び降りて遊んでいて、雪の吹きだまりにすっぽり埋まってしまったこともあった。
その時のなすすべもない思いも、蘇(よみがえ)った。
たまたま、この時は、近くにいた2歳違いの兄が気づいて、救出してくれたのだが、そんなことまでも思い出した。
おかげで、「そうか、兄は私の命の恩人だったんだ」と、今さら気づくことにもなった。
ともあれ、降りしきる雪を漫然と眺めながら、子供の頃から、やることなすことがあまりに無謀だった自分にあきれてしまった。
子供に無頓着な親からは「素直でいい子」と言われていたけれど、実はそうではなかった自分を発見した思いだ。
自然の中で暮らしているせいなのか、年齢を重ねたせいなのか、一人でいると、なにかの拍子に思いがけない記憶がセピア色の映像を伴って不意に蘇る。
考えてみれば、晩年に至って新たな自分に出会い直しているわけで、この際、「私ってなんなの? どういう人?」としみじみ思索してみるのも悪くない。
降りしきる雪は、私にとって、新年に向けての意味深長な贈り物だったような気がする。(ノンフィクション作家 久田恵)