朝晴れエッセー

お守り・1月6日

私の財布の中で聖徳太子の一万円札が37年以上も出番を待っている。

何度も財布が変わり、今ではサイズが合わず4つにたたまれ、折られた線で切れかかっているところを補修もされている。

大学の入学式に合わせて、母と兄が一人暮らしを始める準備を手伝ってくれたその別れ際、母から「何かあったら使いなさい」と手渡された一万円札。

自宅から飛行機を使い何時間もかかる、まるで異国のような地での新しい生活。母にしてみれば、知り合いのいない遠く離れた土地に一人残し、心配とさみしさとで後ろ髪を引かれる思いだったのであろう。

一方、私は大学生活に多少の不安を持ちながらもそれ以上の期待を抱き、また照れと強がりも合わさり、あえて親の心配など察することをしなかった。

4年間、幸いにも親心のこもった「お守り」を使うほどの「何か」は起きなかった。その後も、使われる機会がないまま一万円札はひっそりとお守りとして、財布に残り続けた。

これまでに、3人の子供が私たち夫婦の元を離れ一人暮らしを始めた。その度ごとに、心配とさみしさを母の気持ちと重ね合わせ、財布の一万円札に「何事もないように」と祈った。

月日が流れ、既に母は他界し、私も定年退職を迎えた。先月には初孫が誕生し、今度は長男が親になる順番となった。

母の記憶とともにある古い一万円札は、今後も出番なく私と家族の幸せを見守り続けることになりそうである。


渡邉靖彦(57) 山梨県中央市