話の肖像画

真矢ミキ(4)湧き起こった闘志、まさかの合格

3歳上の兄(左)とは子供の頃から仲が良かった(本人提供)
3歳上の兄(左)とは子供の頃から仲が良かった(本人提供)

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《芸事には無縁の家庭で育ち、放課後はそろばん教室と学習塾を往復する小学生だった。テレビのオーディション番組「スター誕生!」がはやった時期だったが、芸能誌は両親に隠れてこっそり読んでいた》


〝きれいなお姉さん〟に憧れる気持ちがあって、私が今、子供だったら乃木坂46のファンになっていると思います(笑)。母も女学生時代、女子校演劇部の男役の先輩に憧れ、「娘を宝塚に入れたい」と話していたらしい。母娘で「ベルサイユのばら」を観劇してから、母は封印していた宝塚への思いを蘇(よみがえ)らせ、私も宝塚コドモアテネに行くことにしたわけです。


《タカラジェンヌを育成する宝塚音楽学校は、「東の東大、西の宝塚」と呼ばれる狭き門。一方、同音楽学校の設備と講師を活用した、子供向けの日曜教室「宝塚コドモアテネ」の入学は先着順で、枠は40人だった》


コドモアテネは試験がなくて助かったんです。入学申し込み前日、たまたま宝塚に遊びに行った兄が、「すでに長蛇の列ができてるよ! 先頭の人は1週間前から並んでいるって」と電話をくれ、順番を取ってくれました。現地に駆けつけたら、道路に寝袋が並び、こたつを持ち込んでいる人までいた。父も兄も並んでくれ、何とか入学できました。


《中学1年から毎週日曜日、コドモアテネに通い始め、ダンスや声楽などを習った》


入学者の9割が音楽学校の入学希望者。バレエやピアノを長年、お稽古してきた子も多く、私は生まれて初めて習うバレエやレオタードに戸惑い、譜面も読めなかった。ただ私は昔から着物への憧れがあって、家でよく布団を腰に巻き付けて遊んでいたんです。ですから日本舞踊の授業は、楽しみでしたね。


《宝塚音楽学校への入学チャンスは、中学3年から高校3年の卒業時まで4回。受験資格を得られる中学卒業の時期が近づくにつれ、コドモアテネでの話題は受験一色になっていく》


「佐藤さん(真矢さんの本名)、受けるのかな」「まさか。何もできないから絶対、受からないよ」―。音楽学校受験まで残り半年の頃、コドモアテネの更衣室で、私に気づかず噂話にふける同級生の声が聞こえ、着物を畳む手が止まりました。子供なりに傷つきましたけれど、私が中3のとき、音楽学校受験を考えなくなっていたのは、まさに「何もできないから」。悔しいけれど彼女らの指摘は、図星でした。

すると、負けず嫌いなんでしょうか、自分でも信じられないくらいの闘志がメラメラと湧き起こったんです。即、音楽学校受験を決意。半年間、学校と塾、声楽など個人レッスンに駆け回る分刻みの生活を送った末、高校にも無事合格。「落ちてもともと」の気負いない状態で、音楽学校受験に臨めました。

試験会場は毎週通った教室ですから緊張も剝がれ、とにかくやる気だけはアピール。1次試験を通過すると「何としても受かりたい!」という欲がもたげ、その思いの強さは誰にも負けなかった。2次試験では、ダンスで多少の失敗はしても「終わりよければすべて良し」とばかりに最後は力いっぱい、笑顔やポーズを決めました。


《結果は見事一発合格。タカラジェンヌの道を歩み始める》


音楽学校の敷地内に、合格者名が掲示されるのですが、私は見に行くのが怖くて、門前で深呼吸をしていました。すると同級生のお母さまが私に気づき、「受かってたよ~」とアッサリ告げたんです。母と抱き合う〝感動の合格発表〟は体験できませんでしたが、うれしかったですね。(聞き手 飯塚友子)

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