ならじょストーリーズ

奈良女子大「女高師」生んだ近代化への熱意

正門から望む奈良女子大学記念館。前身の奈良女子高等師範学校の本館で、国の重要文化財に指定されている=奈良市
正門から望む奈良女子大学記念館。前身の奈良女子高等師範学校の本館で、国の重要文化財に指定されている=奈良市

令和4年4月に奈良女子大学は大きな変化を迎えます。奈良教育大学との法人統合と、女子大学としては全国初の工学部設置があります。このような大きな変化に至った過去からの経緯について、そして奈良女子大学の未来について語ろうと思います。今回は1908(明治41)年「女子高等師範学校(女高師)」の奈良設置の話をします。

東京(第一女高師)に続く、第二女高師が奈良に設置されることが決定したのは、明治40年3月26日の第23回帝国議会(衆議院)においてである。京都設置の建議案が提出されたが、131対132の1票差で奈良設置が決まった。

奈良側の主張は「奈良市・県は十余年にわたる官立学校の誘致を行い、奈良市は市債を発行し奈良奉行所跡地2万有余坪を既に文部省に寄付していた」ことであり、京都側の主張は「京都は都会であり、既に高等学校、大学、高等工業学校がある」ことであった。

女高師を設置したいという時代背景は高等女学校の激増であり、これに見合う教員養成が必要であった。奈良への官立学校の誘致は、同20年の奈良県再設置、同31年の市制施行のエネルギーと近代化への熱意であったと思われる。

第1回目の入学選抜は、地方長官の推挙した156人から83人を学校長が選抜、体格検査と口頭試問を経て、77人が入学し63人が卒業した。当時の生活を、初期の卒業生である1期の岩崎文江(画家いわさきちひろ氏の母)、2期の宮城タマヨ(第1回参議院議員)、5期の小倉遊亀(画家、文化勲章受章者)の自伝などから追跡できる。

また、開校時からの教員として、錦織竹香(修身・裁縫教授および寮務主幹)、水木要太郎(国文・国史教授)が著名で、卒業生に大きな影響を与えた。(奈良女子大学学長 今岡春樹)