ダイエーのソフトバンクへの〝身売り〟で、平成16年のプロ野球再編騒動は終わった。それは阪急OBやファンにとって「これからどこを応援したらええんや…。バファローズか?」と自問自答する日々の始まりでもあった。
2年後の18年6月、衝撃の「事件」が起こった。電鉄、百貨店、不動産…とあらゆる部門でライバルだった「阪急」と「阪神」が経営統合したのである。
きっかけは投資会社の「村上ファンド」(村上世彰代表)が阪神電気鉄道や阪神百貨店の株式をひそかに大量保有。電鉄に対し、経営について数々の提案をするなど、投資ではなく経営支配に出たのである。その中には「阪神タイガースを上場すべきだ」という提案もあった。阪神ファンは「タイガースが乗っ取られるで!」と怒り、大騒ぎになった。
阪神は阪急に助けを求めた。阪急HDに「経営統合」を提案し、6月に株式公開買い付け(TOB)を実施。阪急HDが阪神電気鉄道を完全子会社化したのだ。
「ウチと阪神さんの合併話は3度目。過去2度は阪神さんが阪急をのみ込もうとして破談になったんですよ」と阪急の重役が教えてくれた。
1度目は創業時、まだ「箕面有馬電気軌道」の時代。創業者・小林一三の自伝『逸翁自叙伝』にこう書かれている。
「私もその頃は、いくら気張って居ても此先どうなるか判らない未経験の事業である、此田舎電車で苦労するより、阪神電車と合併ができ阪神電車の重役になれるのであるから、不平どころか内々期待していたのである」
2度目は「神戸行き急行電鉄が成功し、既に堂々たる威容を現示し得た時であった」という。
自叙伝によると阪神の片岡直輝社長から小林に直接話があり、小林は合併草案を書いて片岡に見せた。草案は阪急が阪神を合併するものになっていた。すると片岡は「阪神が合併するのだよ。無論、決まっているではないか」と突き返した。小林は「阪神に合併するのでしたらば、私一存では出来ません」と答え、結局、破談となった。
阪急と阪神の経営統合にはこんな深い〝歴史〟があったのである。そして福本豊の心に変化をもたらした。
「なんかタイガースが身近な球団に思えてきたんよ。バファローズよりも」(敬称略)