職場の1日講習会でスキーの楽しさを知った。
結婚、育児、介護と忙しい日々が続いた。子供たちが成人した頃スキーブーム、楽しそうな2人の話に聞き入るばかり。若い頃にしていたことはいろいろ復活できたけど、スキーは無理と諦めていた。
初孫が生まれた頃、息子が一度やってみないかと言ってくれ、娘の残していった道具一式でゲレンデに立った。
手ほどきしてもらって心配そうに見守る息子を追い払い、ほとんどボーゲンで、気がついたらリフト乗り場だった。
さあもう一度、と身構えたとき息子に肩をたたかれた。帰りの時間を30分も過ぎていた。
3年目には主婦仲間5人のグループになった。みんな初心者なので、必ず初日は教室に入って、まあそれなりに上達した。
みんな毎回気持ちよく送り出してくれる夫や子供たちに感謝していた。主婦の最も忙しい師走も目をつぶって、北海道のフカフカの雪を楽しんだ。
蔵王の樹氷原の中も滑った。始めた頃の夢だった、3世代トレーンも、3番目の孫が小学5年になった頃実現した。
10年が過ぎ、ケガや家庭の事情で1人、2人と減り最後は2人になった。2番目の孫の成人式の日、北海道のゲレンデでひざに激痛が走り、スノーモービルで山を下り、それが最後となった。
冬になると今でも新聞の各地の積雪状況が目に入り、数多く行ったゲレンデの雪景色を思い出している。
塩谷一子(88) 大阪府摂津市