今から77年前の終戦時、外地には軍人・軍属・民間人を合わせて約660万人もの日本人がいた。民間人だけでも300万人以上。その引き揚げについて、日本政府に当事者能力はなく、その地を占領した国次第であった。それが明暗を分ける。
主な地域を挙げよう。「アメリカ軍管区」朝鮮の北緯38度線以南(ほぼ後の韓国地域)やフィリピンなど▽「ソ連軍(当時)管区」満州、朝鮮の北緯38度線以北(ほぼ後の北朝鮮地域)、千島・樺太など▽「中国軍管区」台湾、中国本土など―である。
ざっくりと「明暗」を分ければ、アメリカ、中国軍管区では比較的スムーズに引き揚げが進み、ソ連軍管区の日本人は辛酸をなめたといえるだろう。満州や朝鮮北部にいた日本軍人・軍属、警察官などは拘束後、シベリアへ抑留され、民間人も虐殺・略奪・暴行・レイプ・監視の恐怖におびえ、劣悪な環境下で命を落とした人は数知れない。