のど元過ぎれば 「熱さ」忘れぬ一年に 編集局長・五嶋清

北京五輪に政府代表団を派遣しない方針を説明する岸田文雄首相=令和3年12月24日午後、首相官邸(矢島康弘撮影)
北京五輪に政府代表団を派遣しない方針を説明する岸田文雄首相=令和3年12月24日午後、首相官邸(矢島康弘撮影)

「のど元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉をインターネットで検索すると、新型コロナウイルス関連の多くのサイトがヒットする。日本に新型コロナが上陸した令和2年1月までは、寺田寅彦の「天災は忘れた頃にやってくる」という警句にもあるように、忘れてはならないのに忘れてしまうものの代表格は地震や大雨などの天災だった。

ウイルス蔓延(まんえん)が天災なのか人災なのかという議論は横に置くとして、これらの成句は、防御不能にもみえる大きな災いに対して過去の教訓に基づいて事前に対処を考えておくことの大切さを語っている。感染者数増加の第1波が令和2年春に来て以来、昨年秋の第5波に至るまで、人々は感染者や死者、重症者が増減するたびに一喜一憂してきた。新型のオミクロン株は感染力が強いわりには毒性は弱いとも言われているが、全貌が解明されたわけではない。新型株の日本上陸を機に第6波が来て、また日本人は「熱さ」を思い出すことになるのかもしれない。

一方、今年前半の大きなイベントとして北京で2~3月に開催される冬季五輪・パラリンピックがある。日本政府は昨年12月24日に北京五輪への政府代表団派遣の見送りを表明した。事実上の「外交的ボイコット」だが、「事実上の」はまずい。新疆(しんきょう)ウイグル自治区での人権弾圧への抗議の姿勢を示したいのなら、「事実上」でなく「表面上」も外交的ボイコットの意思を鮮明にすべきだ。

昨年の東京五輪・パラリンピック開催前には新型コロナの影響があったことに加えて、日本の大会組織委員会幹部の女性蔑視発言が問題視され、再延期論だけでなく中止論まで盛り上がった時期があった。米国やリトアニアはウイグルでの弾圧を「ジェノサイド(民族大量虐殺)」と認定した。カナダやオランダの議会でもウイグルにおけるジェノサイドを非難する決議が可決されている。ウイグルで起きていることは、日本での女性蔑視発言問題の比ではない。中止論どころか外交的ボイコットにさえ及び腰だった日本政府の態度には首をかしげざるをえない。

「のど元過ぎれば…」は天災やコロナだけの話ではない。国際関係や安全保障問題では、日本人はのど元をまだ過ぎていないのに「熱さ」を忘れようとしている。たとえば、中国はほかにも看過できない行動をとっている。「パトロール」と称して中国とロシアの軍艦が日本列島を一周したことは記憶に新しい。領空侵犯の恐れがある中国機に対する自衛隊機の緊急発進(スクランブル)回数は令和2年度に458回を数えた。友好国のすることではない。中国との密接な経済関係の維持に配慮して忘れたふりをしているだけなのかもしれないが、度を超えている。

「熱さ」を忘れるといえば、北朝鮮の問題もそうである。2009年に日本の東北地方上空を通過する長距離弾道ミサイル発射実験を行った時の衝撃はすさまじかった。頭の上にミサイルが落ちてくるかもしれないのだから当然だ。今も北朝鮮は核ミサイル開発を続けている。みんな忘れてしまったのだろうか。

こんなに忘れっぽくては、あるいは忘れたふりをしているようでは、北方領土も竹島も永遠に戻ってこない。北朝鮮による拉致被害者もそうだ。日本にはコロナ以外にも忘れてはならない「熱さ」がある。それを忘れない一年にしたい。