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真矢ミキ(3)母の作戦? 光り輝く「宝塚」への道

小学生時代は引っ越し続きで引っ込み思案だった
小学生時代は引っ越し続きで引っ込み思案だった

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《転勤族だった真矢さん一家。小学校卒業間際、大阪府豊中市に引っ越したが、それは宝塚歌劇団が空前の「ベルサイユのばら」の大ヒットで沸いていた時期と重なる》


運命的なめぐり合わせだったと思います。初めて関西に来てみたら、みんな関西弁で、えらくオープンな感じで、すごく叫び合っていて(笑)、まず驚きました。

豊中は阪急宝塚沿線で、終点は宝塚でしょう? いろいろな制服の学生が乗っている中で、当時の私が特に「かわいいなぁ」と思ったのが、大きな白襟のブラウスに、茶色のワンピースの制服を着た同世代の女の子。髪の毛をきれいにお団子に結い上げ、それをさりげなくリボンで結び、ひときわ、目を引いたんです。

家に帰って早速、母にその話をしたところ、「どこの学校か、知りたい?」とニヤリ。今思えば、あれは母なりの作戦だったと思います。


《制服の正体は「宝塚コドモアテネ」。宝塚音楽学校付属で毎週日曜日、小学4年から中学生までの女子を対象に、声楽やバレエ、日本舞踊が勉強できる学校だった》


当時の私は、あふれるエネルギーを持て余していました。日曜日も早朝から起き出し、週末にやっと休んでいる両親をたたき起こしては「どこか、連れて行って!」。親も、私の暇とパワーをどこかに向けてほしい、という気持ちがあったと思います。

母がコドモアテネについて調べてくれ、この学校に連なる宝塚歌劇を知るため、一緒に観劇することになりました。


《真矢さんが兵庫・宝塚大劇場の本拠地で、初めて観劇したのが昭和51年、星組公演の「ベルばら」だった。宝塚は49年、フランス革命をテーマにした池田理代子さん原作の人気漫画「ベルサイユのばら」を舞台化(植田紳爾脚本・演出)。激動の時代に散った、男装の麗人オスカルを、榛名由梨さんら各組トップスターが演じ、社会現象とまで呼ばれる「ベルばら」ブームが続いていた》


初めて訪れた大劇場は大変な人だかりで、ただただ圧倒されました。母が何とか人ごみをかき分け、座席券売り場にたどり着いたら「当日券、売り切れ」の看板です。諦めきれず、母が売り場の人に問い合わせ、何とか立ち見券の列に並んで見ることができました。

私が生の舞台を見たのは、この時が初めて。立ち見は「花道」と呼ばれる舞台端近くの空間で、背の高い大人に囲まれ、隙間からやっとの観劇です。それでも幕が上がった瞬間、光り輝く夢のような世界が広がっているのが分かりました。ただ立ち見は子供の私にはきつく、2幕はパスして、隣接する動物園に行ったんですよ。


《当時は男役より娘役に興味がわき、中でもロザリーを演じていた衣通(そとおり)月子さんに目を引かれた》


青いドレスがよく似合い、天使のようにかわいらしかったんです。一方、男役の厚化粧には、違和感を覚えました(笑)。最初の観劇で、すっかり宝塚ファンになったわけではないのですが、ブロマイド屋さんに寄り、しっかり娘役さんの写真を握って帰りました。後日、改めて「ベルばら」を観劇し直し、鳳蘭(おおとり・らん)さんや初風諄(はつかぜ・じゅん)さんが主演されていた舞台を見たことで、宝塚コドモアテネ行きを決意したのは、言うまでもありません。(聞き手 飯塚友子)

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