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真矢ミキ(2)転校続きも「キャラ替え」に成功

雪の降る美しい季節に生まれ、「美季」と名付けられた(本人提供)
雪の降る美しい季節に生まれ、「美季」と名付けられた(本人提供)

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《航空会社に勤める、モーレツ社員だった父、隆二さんと、専業主婦だった母、雪子さんの長女として、父の転勤先だった広島で生まれた》


本名は美季と言います。1月末、雪が降る美しい季節に生まれたので、そう名付けられたそうです。ところが生まれたばかりの私は、なかなか頭髪が生えなくて、近所の人から「1丁目のオランウータン」というありがたくないあだ名を付けられ、両親を随分、心配させたようです。一方、3歳上の兄は美形で当時、畏れ多くも「浩宮さま(現天皇陛下)のよう」と言われ、ちやほやされていました。

2人きょうだいでしたから、遊び相手はいつも兄。面倒見がよくて、野球やプロレス、めんこ、虫捕り、「シェー」のポーズ(大ヒットした赤塚不二夫さんの漫画「おそ松くん」の登場人物イヤミのギャグ)などを教えてくれ、小さい頃から〝男の子〟のように育ち、鍛えられました。

父は昭和の企業戦士で、定年まで、仕事が人生の100%を超えているような人でした。転勤続きで、何しろ私が宝塚音楽学校に入学する15歳まで、引っ越しが8回あったほどです。仕事柄、海外出張も多く、いつも家にいなくて、記憶にあるのは「いってらっしゃい」と見送る背中です。あまり父を正面から見たことなかった。

母は娘時代、女子校の演劇部で男役をしている先輩に憧れていたような、とてもかわいらしい女性でした。私が宝塚に入る道筋を作ってくれたのも、母なんですよ。


《広島から福岡、横浜、大阪…。新たな土地に慣れた頃に、引っ越しと転校が続いたため、子供の頃は内向的で、人見知りの性格だったという》


やはり子供にとって、引っ越しや転校は負担が大きいんですよ。福岡の小学校にはすっかり慣れていたので、お友達との別れがつらくて、引っ越しの日が近づくにつれ、泣きました。転校先も全部が全部、平穏な学校ではなかった。いじめではないんですが、子供社会の入り口で、新しいクラスメートにちょっかいを出し、様子をうかがうことってありますから。

だんだんと対人恐怖症気味になり、自分を出せなくなってしまったんです。このころは人と目を合わせて話せなかった。今でも、転校先で初めて教室に入って、先生が黒板に私の名前を書き、同級生の視線が集中する中、うつむきながら挨拶(あいさつ)をしなければならない、あの緊張感が蘇(よみがえ)ります。

そのうち、引っ越しが前提となり、荷造りした段ボール箱も解かなくなって、よく使うもの以外、出さなくなりました。それはある種、私の反抗期だったのかもしれません。


《しかし、太陽のような明るさを獲得したのも、引っ越しがきっかけ。今も「出身地」と公言し、愛着を抱く大阪府豊中市内の小学校への転校で、いわゆる〝キャラ替え〟に成功したのだ》


小学6年で横浜から転校したのですが、担任の先生が初めての女性。初対面から、青春ドラマに出てきそうな爽やかな笑顔で、「佐藤さん(真矢さんの本名)、よろしくね! みんなが待ってるから」とおっしゃったんです。この明るさに、いつものモヤモヤした気分が吹き飛び、何か自分でも変われる予感がしたんです。教室に行き、先生が「みんな、仲良くしてあげてね!」と私を紹介してくださったので、その勢いに乗せられ、自分でも驚くほどスラスラ、自己紹介ができたんです。

「佐藤美季です。好きな男の子のタイプは、優しくってスポーツマン! 女の子は笑顔の明るい子! ヨロシク‼」と言ったら、教室がドッと受け、拍手まで湧き起こった。この瞬間が、今の「真矢ミキ」を作り上げる第一歩だったと思います。(聞き手 飯塚友子)

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