北京パラ

5度目の正直、攻める思い強く パラアルペンスキー三沢拓

旗門に挑み滑降する三沢=2021年4月、長野県(日本障害者スキー連盟提供)
旗門に挑み滑降する三沢=2021年4月、長野県(日本障害者スキー連盟提供)

健常者に見劣りしないスピードで、急斜面を右足1本で滑り降りる。パラアルペンスキー男子立位の三沢拓(SMBC日興証券)は、5大会連続出場となる3月の北京冬季パラリンピックで活躍を期す。昨年7月に代表に内定。「北京ではメダルという形あるものを取りたい」と5度目の正直を狙う。

初出場だった2006年トリノパラリンピックで5位入賞。メダル獲得を期待される存在になった。ただ、前回の平昌パラリンピックは、前年12月のワールドカップ(W杯)で転倒して股関節から約15センチ残る左足を骨折。驚異の回復力で本番に間に合ったが、「出場するだけで終わった」。その後の4年間は転倒を恐れて、試合で攻めきれないジレンマとも戦ってきた。

「残っているものを最大限利用する」と左足股関節の可動域を意識して体幹を強化。転倒は減った。筋力トレーニングにもがむしゃらに取り組み「これだけやったんだから」と言い聞かせて不安を振り払ってきた。

6歳のときの交通事故で左足を膝上から失った。母親に「自転車に乗れるの?」と問いかけると、「乗れるよ。何でもできるから大丈夫」。力強く背中を押され、何事も挑戦する勇気が持てた。スキーとの出会いは小学2年生。スキー場で1人だけスキー板に乗れなかった悔しさを胸に、毎週のようにスキー場に通った。義足ながらエースで4番も務めた野球を諦め、高校からスキーに専念した。

10代から講演活動を続け、小学生から経営者まで幅広く自らの経験や考えを伝えてきた。「純粋に誰とでもコミュニケーションをとり、理解し合えることが大事」。共生社会実現には強い思いがある。「思いを届けるにはやっぱり結果。結果をとって、自分のいうことに説得力を持ちたい」。強い決意で夢舞台に挑む。(運動部 小川寛太)

みさわ・ひらく 1987年7月12日生まれ、長野県出身。SMBC日興証券所属。パラリンピックは2006年トリノ大会から北京大会まで5大会連続出場。