京都の碁盤の目を手本にした皆生温泉の100年

日本海を望む眺望と海水浴場に近接した立地が人気の皆生温泉。令和2年に温泉開発100年を迎えた(皆生温泉旅館組合提供)
日本海を望む眺望と海水浴場に近接した立地が人気の皆生温泉。令和2年に温泉開発100年を迎えた(皆生温泉旅館組合提供)

詩人の野口雨情が「海に湯が湧く」とうたった「皆生(かいけ)温泉」(鳥取県米子市)は、碁盤の目状に通りが交差する京都を手本に温泉街が造られ、日本海を一望する眺望と目の前が海水浴場という「開放感」が人気の山陰屈指の名湯だ。令和2年に温泉開発100年を迎え、昨年は新スタートとなる101年を打ち出したものの、新型コロナウイルスの流行でメモリアルは空回り。関係者は「今年こそ」と3年越しの盛り上がりに期待している。

トライアスロン大会発祥の地

「令和3年1月は新型コロナに加えて大雪で客の入りは例年の3分の1以下だったが、今年の正月は満室状態」。皆生温泉旅館組合事務局長の河津幸雄さんは胸をなでおろす。

日本海沿いに砂浜が伸び、街中にも松が点在する「白砂青松」の温泉街は東西約700メートル、南北約300メートルの広さで、二十数軒の旅館・ホテル(同組合加盟は18軒)が並ぶ。

収容能力は約4千人とされ、「冬は松葉ガニ、夏はシロイカや岩ガキ、それに海水浴」で四季を通じて客を呼べる温泉地だ。塩分を含んだ湯が特徴で、計19の源泉から最高83度、毎分4456リットルの豊富な湯が湧出している。

皆生温泉は、国の「日本水浴場88選」に選ばれている海水浴場などを舞台に日本でのトライアスロン大会発祥の地でもある。温泉開発60年の記念イベントとして昭和56年に始まった「全日本トライアスロン皆生大会」は毎年、全国から選手約1600人が詰めかけるが、令和2、3年と新型コロナのため中止を余儀なくされた。

同様に、15ほど計画されていた開発100年記念事業は軒並み延期、中止に。101年の昨年に持ち越して実施にこぎつけた事業がある一方、2年連続で中止となるケースもあり、新型コロナに翻弄された「節目」となった。

温泉街にある泉源のタンク。全部で19カ所にあり、最も高い湯温は83度
温泉街にある泉源のタンク。全部で19カ所にあり、最も高い湯温は83度

温泉客を送迎、電車も運行

皆生の地は元々「海池(かいけ)」と呼ばれ、砂浜と松林が広がる漁村だったという。明治時代初めに浜から約200メートルの沖合の海中に温水の泡が噴き出ているのを、漁師が見つけたのが始まりとされ、明治33(1900)年には浅瀬で温泉が湧き出ているのが発見。大正9(1920)年に、鉄道建設工事で財を成した有本松太郎が温泉街としての「開発」に着手し翌年、第1号泉を掘り当てた。

有本は、京都の街を参考に南北に延びる一条から四条までと西小路の通り(現在は九条まで)と、東西に延びる通りを交差させ、碁盤の目状の街並みを築いた。また、温泉客を運ぶため、国鉄(当時)米子駅近くから温泉街まで最初は乗合自動車を運行、大正14年には電車を開通(昭和13年まで営業)させた。

戦前には競馬場、戦後の昭和30年代には水族館と、誘客のための施設が設けられる一方で、日本海の荒波による海岸浸食で旅館が破損したり浸水したりする被害に長年悩まされ、国が離岸防潮堤を完成させる60年まで苦境は続いた。

同じ山陰の温泉で歴史の古い「玉造(松江市)、三朝(みささ)(鳥取県三朝町)に追いつけ、追い越せ」が皆生温泉関係者の目標だった。

出雲大社への参拝客や新婚旅行客を受け入れてきた玉造、湯治場としての長い歴史を有する三朝に対して、後発の皆生は「料理業を主に発展(中略)お色気によって、観光客にも地元にも人気があった」(間瀬庄作著『皆生温泉・湯けむり裏ばなし』)とされ、最盛期には約180人の芸者がいたという。

国鉄の臨時列車で瀬戸内の広島、岡山、京阪神の大阪、兵庫などから団体客を呼び込み、米子空港に東京線が就航してからは東京などへ女将(おかみ)らのキャラバンを派遣してPR。大阪に案内所を置いて誘客を図るなどし、知名度アップを図った。その結果、昭和51年には過去最多の年間宿泊客約80万人を記録した。

皆生温泉街に設置された案内板。南北に「三条」「四条」など、東西に「トライアスロン通り」など、通りが碁盤の目状に交差する街並みは京都を手本に造られた
皆生温泉街に設置された案内板。南北に「三条」「四条」など、東西に「トライアスロン通り」など、通りが碁盤の目状に交差する街並みは京都を手本に造られた

強みは「山陰のど真ん中」

トライアスロン大会の開催でお色気イメージからの脱却を図ったが、団体から個人へ旅行スタイルの変化などにより宿泊客は減少傾向となり、近年は40万人前後で推移。コロナ禍の令和2年は約26万4千人、3年は19万1千人(11月まで)と大きく落ち込んだ。

「個々の宿のレベルは高いが、街並みに魅力がない」。旅行志向の変化に加えて、落ち込みの理由を同組合はこう分析。その上で平成30年度に「皆生温泉まちづくりビジョン」を策定し、四条通りのにぎわい創出などを打ち出し、再生策をスタートさせた。

「西に出雲大社、東には鳥取砂丘、近くには大山や水木しげるロードがある。皆生温泉は山陰のど真ん中で周遊観光にとても便利」。河津さんは、皆生の強みを指摘する。

そして、「コロナ禍で気づいたのは、地元に支えられているということ。県境を越えた移動の自粛で、初めて皆生温泉に来られた県民もたくさんいる。これまでの県外からに加え、今後は県内からの誘客にも力を入れていく」と話した。(松田則章)