地雷原を農地へ 7人爆死の悲劇を負う元自衛官の覚悟

カンボジアで地雷除去と地域の復興支援を行っている高山良二さん=松山市
カンボジアで地雷除去と地域の復興支援を行っている高山良二さん=松山市

国連平和維持活動(PKO)としてカンボジアに赴任した経験を持つ元自衛官が、カンボジアで地雷処理と地域復興の支援活動を続けている。認定NPO法人「国際地雷処理・地域復興支援の会」(IMCCD、松山市)の理事長兼カンボジア現地代表、高山良二さん(74)。同会設立から10年となり、松山市内で報告会を開いた。活動の現状を語るとともに、米国陸軍退役軍人のビデオメッセージを紹介し、「平和な国際社会に貢献できる日本にならなければならない」と、東アジアを中心とする世界情勢に無関心でないよう呼びかけた。

PKOでカンボジアへ

高山さんは愛媛県三間町(現宇和島市)出身。36年間を陸上自衛隊の主に施設科部隊で働き、1992年~93年の約半年間、国連平和維持活動(PKO)としてカンボジアに赴任した。この時、感じたのは「自分は何もできなかった」という悔しさだったという。それが現在につながる活動の原点となった。

PKOから10年後、陸自を定年退官した高山さんは「日本地雷処理を支援する会」(JMAS)に加入し、再びカンボジアへ向かった。このとき、高山さんは啓蒙(けいもう)活動を担ったが、不発弾で遊んでいた子供が死亡したり、鉄くず回収業者に不発弾を解体して売ろうとした村人が爆死するなどの事故があとを絶たなかったという。

報告会ではカンボジアの現地とも結んで状況を説明した
報告会ではカンボジアの現地とも結んで状況を説明した

激戦地に残された地雷

2005年12月、高山さんは外務省を訪ね、地雷除去活動の必要性を訴えた。翌年、NGO支援無償資金予算が検討されることになり、希望を得た高山さんは3度目のカンボジアへ向かった。

タイ国境に近いバッタンバン州カムリエン郡タサエン地区。ここが現在まで続く高山さんの活動拠点となった。同国地雷対策センター(CMAC)に、「地雷が一番多く埋設されていて、再貧困の村で活動したい」と希望を伝えたところ、紹介されたのがタサエンだったのだ。

そこは内戦時代にポルポト軍と政府軍、政府軍を支援したベトナム軍が入り乱れた激戦地。地雷で被災して片足を失った人が多く、道路は未整備、エイズやマラリア、デング熱が多発していた。働く場所がないため、隣国へ売られる女性もいるなど人々の暮らしは劣悪だったという。

タサエンだけで1ヘクタール以上の地雷原が60カ所以上と聞いていた。しかし、実際には畑や民家などあらゆる場所に地雷は埋まっていた。10年経過した今も除去を淡々と続けなければならない状況だという。

2006年、タサエンに現地宿舎を開設し、地雷処理隊員を募集した。編成されたのは01小隊、04小隊、05小隊の3個小隊99人。CMACでの訓練を経て、同年8月、地雷原での作業を開始した。

高山さんが生涯忘れることのできない悲しい出来事が起きたのはわずか半年後だった。「さあ、これからだ」と思っていた2007年1月19日。高山さんは一時帰国のため現地を離れ、プノンペンにいた。「01小隊の地雷原で大きな爆発が起き、現在2人が倒れている。付近にいた数名が消えてしまった」と電話で一報が入った。亡くなったのは隊員7人。対戦車地雷だった。

10周年の報告会で、高山さんはこのとき、亡くなった7人の写真を紹介した。「百パーセント私の責任だ。私が指示していたら、行動していたら、7人いっぺんにはなかっただろう。私が処置していたら、私も誤って飛んでいたかもしれない。1日違いで…。これが私の本当の気持ちだ。今、ここに居る自分が不思議でならない」。そう高山さんは語った。

「あきらめることはできない」

2010年12月、JMASを離れ、翌年にIMCCDを立ち上げた。同年7月、愛媛県からNPO法人の認可を得て活動を開始した。「地雷、不発弾の処理は最終目的ではない。地域が安全になって、そこに暮らす人たちが生活できるための復興が必要だ」。そう話す高山さんは、タサエンの村で1年の3分の2を過ごす。

地雷を取り除いた荒野に畑を作り、作物を植えた。キャッサバから始まり、スーパーフードとして人気のモリンガ、お茶、マンゴー、パパイヤ、バナナ、サトウキビなど。「カンボジアの完熟マンゴーはバナナのように皮がむけて、食べると口の中が幸せだらけになる」とにこやかに話した。

今は約10ヘクタールの広い畑が広がり、作物加工や焼酎造りのための工場がある。地場の加工産業を発展させ、世界に流通させる。高山さんの夢だ。「一朝一夕にはできない。時間はかかる。だがあきらめることはできない。必ずやる」

IMCCDは2021年10月末までに、対人地雷782個、対戦車地雷212個、不発弾1534発を処理し、地雷原279ヘクタールを安全にしてきた。「どうしたら戦争や紛争のない社会が構築できるかという、現実的な平和の種を世界にまいていきたい」

国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)の10周年を記念する冊子
国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)の10周年を記念する冊子

平和な国際社会に貢献を

報告会で高山さんは米国陸軍・特殊部隊の退役軍人で軍事シンクタンクCEOから寄せられたビデオメッセージの動画を紹介した。日本の現状と東アジアの危機的状況を米国側の視点から指摘する内容だった。「日本は中国共産党という新たな脅威に直面し、重要な岐路に立っている」としたうえで「日本は東アジア地域の平和維持のために強くあらねばならない。日本が強い時、国際協力と平和がもたらされる」と呼びかけていた。

高山さんは「私たちはあとから来る人たちに、ちゃんとした日本を託すために、覚悟をしなければならない。平和な国際社会に貢献できる日本でなければならない」と語った。

生命をかけて、地雷という負の遺産と向き合う活動を続けてきたからこその強い思いがある。「政治に関心がないという人がいるが、それは無責任だ」。戦争反対を唱えるだけではなく、現実・事実から目を背けず可能性のある本当の平和を探そうと訴えている。

高山さんは自らの「定年」を94歳に設定しているという。「あと20年はやる。国際社会が引き金をひけば(戦争が起これば)、孫の世代まで被害が残る。それでも引き金をひこうというのか。現場から訴え続ける」と口元を引き締めた。そして「終わったら、地雷処理で亡くなった7人の墓に入れてもらう」。(村上栄一)

米国退役軍人のメッセージの動画は、高山さんのフェイスブックで紹介されている。