《平成13年に東日本ボクシング協会の会長職に就いたとき、最大の課題は「業界再活性化」だった》
これは当時だけではなく、今にも続く難題です。世界タイトルマッチのテレビ視聴率はひところの半分もないし、世界王者のファイトマネーもがた減り。試合会場の熱気も昔はすごかった。
時代がもはやボクシングでもないわけだから…と言ってしまっては身もふたもないので、知恵を絞り、すぐには効果が表れなくても地道に取り組んでいくしかないと思います。
昭和40年代から50年代初めごろは、世界戦の視聴率は40~50%が当たり前で、テレビ局の放映権争奪戦も激しかったものです。でも今は、深夜の録画放送だったり、2試合同時興行ということも珍しくない。
昭和50年前後の私のファイトマネーは、防衛戦1試合で5千万~6千万円ありました。同じころ、世界ライト級王者だった親友のガッツ石松選手も似たようなものでした。当時の5千万円といったらすごいですよ。プロ野球の世界では巨人軍の王(貞治)選手が突出して1億円近い年俸をとっていましたが、王選手以外では5千万円といわず、3千万円だってもらっている選手はほとんどいませんでした。
それが45年以上たった今、日本の世界王者の防衛戦でのファイトマネーは、もちろん個人差がありますが、2千万円に満たないケースもあるという。いい時代を知る者としては、何とかしなくてはいけないと責任の一端も感じています。
《世界チャンピオンの希少価値が落ちたことも一因と指摘されている》
それだけではないにしても、一因にはなっているでしょう。かつて世界王者は世界に8人しかいなかった。それがジュニア、今でいうところのスーパークラスができて統括団体も増え、現在、世界王者は60人以上いる。私の時代は団体も2つだったし、私を含めて統一王者も珍しくなかったので、世界王者は20人弱でした。
世界王者が多い方が、興行する側からすると世界戦を手がけやすいので好都合なのでしょうが、それが行き過ぎて自分で自分の首を絞めてしまっているような感じがしてなりません。
《起死回生の秘策はないものか》
秘策があれば、とっくに実行していますよ。やはり、プロボクシング業界が社会にもっともっとアピールし、社会に貢献できる存在でなくてはならないでしょう。単に興行だけやっていれば済む時代では、もうとっくにないのです。選手とファンの距離を縮めることも必要でしょう。地道ですが、こういう努力は不断に続けなくてはならない。
また、ボクシングは低迷している一方で、各種の「格闘技」イベントは人気を博して広く受け入れられているわけですから、売り込み方や見せ方など、学べるものは学ぶ必要があるでしょう。旧態依然では生き残れない。オリンピックの世界でボクシング競技の存続が論議の対象になっているのも、同列の話だと思います。
幸い、プロボクシング界の若い選手たちは、以前から社会奉仕活動には協力的です。私も率先垂範しなくてはいけないと思い、阪神淡路大震災が起きたときは、被災地でチャリティーボクシング(スパーリング)を行い、中越地震や東日本大震災のときは街頭で募金運動に励みました。もちろん業界活性化が直接の目的ではないにしろ、こうした活動はしっかりやらなくてはいけないと思います。かじ取りは協会幹部の責務です。(聞き手 佐渡勝美)