話の肖像画

輪島功一(28)会長として「戦うボクシング協会」へ奔走

袴田巌さんの再審開始が認められた日、静岡地裁前で検察に即時抗告をしないよう訴えた =平成26年3月27日、静岡市(大橋純人撮影)
袴田巌さんの再審開始が認められた日、静岡地裁前で検察に即時抗告をしないよう訴えた =平成26年3月27日、静岡市(大橋純人撮影)

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《自身の「輪島功一スポーツジム」の運営に当たる一方、平成13年から6年間、ボクシングジムによる団体「東日本ボクシング協会」の会長も務めた》

前任者の原田政彦(ファイティング原田)さんに請われて会長職を引き受けました。原田さんといえば、言わずと知れたフライ、バンタム級の2階級を制覇した元世界王者ですが、意外かもしれませんが、私と同じ年齢なのです。原田さんが昭和45年に引退したとき、私はまだ日本J・ミドル級王者になったばかりで、世界戦での戦歴となると、ちょうど私と原田さんは入れ替わりになります。そんなよしみもあって、今日まで何かと原田さんには目にかけてもらっています。

東日本ボクシング協会の会長在任中に私が積極的に取り組み、今も続けているのが、袴田巌さん(死刑囚)の再審支援活動です。これは協会内での重要な引き継ぎ事項の一つで、諸先輩方も支援チャリティーボクシングを行うなどの活動をしてきました。しかし事態はなかなか動かず、活動も途切れ途切れになっていたのです。

《元プロボクサーでフェザー級の日本ランカーだった袴田巌さんは、昭和41年に強盗放火殺人容疑で静岡県警に逮捕され、55年に最高裁で死刑が確定。その後、再審請求がされていた》

袴田さんのことが報道されるたびに「元プロボクサー」の肩書が必ず出てくる。ボクシング協会の会員はほとんどが元プロボクサーですから、ことさら強調されると何か偏見を持たれているようで、たまらなく嫌だったのです。ただ、世間の再審に対する理解がまだ深まっておらず、協会として大きな声を上げることには及び腰でした。

まず私は専門家に話を聞いたり、自分なりに関係する法律も勉強し、少なくとも証拠の捏造(ねつぞう)が行われたことは間違いなく、「袴田事件」は冤罪(えんざい)だと確信。協会内に「袴田巌再審支援委員会」を発足させました。今こそ協会として声を上げるときだと元世界王者たちにも呼びかけ、連名で最高裁に要望書を提出したり、勉強会を開催するなどしてきました。弟の無実を信じて活動を続ける袴田さんの姉のひで子さんにもお会いし、静岡地裁にも何回も足を運びました。

感情論だといわれるかもしれませんが、私にいわせれば元プロボクサーが人殺しなどするわけがない。できるわけがない。ボクシングをやる人間は皆、気が小さいのです。みんな殴られるのが怖いから、ボクシングをやっているのです。

協会は一丸となってこの問題に取り組み、西日本ボクシング協会も連動してくれています。私の後任会長の大橋秀行さん(元世界ミニマム級王者)もしっかり先頭に立って活動を続けてくれ、平成26年に静岡地裁が再審開始と死刑および拘置の執行停止を決めて袴田さんが釈放されたのは大きな成果でした。

《その後、静岡地検が東京高裁に即時抗告し、30年、東京高裁は再審開始を認めない決定をした。しかし、最高裁は昨年、高裁決定を取り消し、審理を差し戻した》

袴田さんは釈放されましたが、法的には確定死刑囚のままです。再審をめぐる結論が出るまでには、さらに時間がかかりそうですが、早く無実の身にしてあげたい。もし司直に、袴田さんの死を待って問題を穏便に葬ろうとする意図があるとしたら、断じて許せません。

ボクシング協会はこれからも社会との深いかかわりを保ち、この問題でも戦う姿勢を貫かなくてはなりません。(聞き手 佐渡勝美)

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