「開いた天井を探した時代」浅井慎平×山下洋輔

渡辺貞夫、そしてビートルズ

《2人には、それぞれ忘れられない〝昭和の顔〟がある》

山下「(サックス奏者の)渡辺貞夫さん。貞夫さんは昭和40年に米国留学から帰ってくると、われわれが出ていた銀座のライブハウス、ジャズ・ギャラリー・8(エイト)に毎日現れた。日本の若者の力量を見ようと楽器をもって」

山下「そして、ついに貞夫さんが、あるバンドに飛び入り参加した。曲は、忘れもしない『星影のステラ』。出だしを聴いて『わあ、すごい』。それまで聴いていた日本人のジャズとはまるで違った。貞夫さんは、日本人にもジャズができると自信をくれた」

浅井「人生を変えたっていう意味でいうと、僕はやっぱりビートルズ。写真を撮るときは、失礼だから相手をジロジロ見たりはしないのですが、ビートルズのときだけは違った。あそこまで人を見つめたことはなかった」

浅井「彼らは、人生においてもう2度と撮れない出会いというものがあることを僕に教えてくれた。あれ以来、僕は、人生の出来事はすべてが1回性のものなのだろうと思っています」

もう無理

《浅井は「キッドナップ・ブルース」(57年)という映画を撮った。音楽は山下が手掛けた。主演はタモリだ。タモリは、山下が47年に公演で訪れた福岡で出会い、あまりの面白さに東京に呼んだ。上京したタモリは、浅井の撮影スタジオに居候していたこともある》

浅井「昭和という時代が、たまたま会わせてくれた人たちが何人かいた。それが、洋輔さんやタモリだった」

山下「学生運動もあったけど、ゲラゲラ笑いながら既成のものをぶち壊す時代でしたね。そういう中で、特殊な人たちが知り合った」

浅井「昭和という時代は〝狂気〟を見せることを求めた。普段、隠している狂気を見せることが、すなわち〝表現〟だった。洋輔さんはピアノで、タモリはあの形で、その狂気を見せた」

浅井「もしタモリがやらなかったら、時代は別の誰かに、その表現の役割を果たさせていたと思う。洋輔さんでも僕でも同様だ。昭和30年代後半から40年代という時代が、それまでなかった才能や人のありようを探していたんだ」

浅井「もう一度、あの昭和を走ってみろといわれたら、もうちょっと無理」

山下「うふふふ、そうですね」

(聞き手・石井健)

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