話の肖像画

輪島功一(26)夢を叶えて「だんごの輪島」開店

引退後に創業した「だんごの輪島」で、笑顔で接客に当たる =平成23年3月、東京都国分寺市
引退後に創業した「だんごの輪島」で、笑顔で接客に当たる =平成23年3月、東京都国分寺市

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《昭和52年7月に引退表明後、当初はまだ選手生活に未練を残しつつも始めたのが、だんご店経営だった》

引退表明後、ボクシングを始める前に抱いていた「自分の店を持って商売をする」という夢をかなえようと思いました。いずれはボクシングジムも開こうと考えていましたが、これにはいろいろと準備が必要で、まだ早いと判断しました。

後援者の方からは「焼き鳥店や居酒屋はどうだろうか。従業員をつけて5店ぐらい任せてもいい」などというありがたい話もいただきましたが、飲酒が絡む店の話は全てお断りしました。私自身、酒は大好きなのですが、性格的に客あしらいがうまいとは思えず、酔客に「おい、輪島っ!」なんて悪態をつかれたら手を出してしまいそうで怖かったのです。下手な事件を起こさないように、「転ばぬ先のつえ」というわけです。

薄利多売で大もうけはできないけれど、まじめにコツコツやれば失敗はしないと思いついたのが、だんご店経営でした。幸い、東京・東村山のおいしいだんご店のご主人を紹介していただき、一から修業させてもらうことができました。

《開店に向けて夫婦で修業した》

輪島家はこの年6月、私の現役最後の試合直後に、4年間お世話になった高島平団地を出て、東京・三鷹に建てた新居に引っ越しました。妻の滝代に「だんご店を始めたい」と言ったら、黙ってついてきてくれ、毎朝3時に起きて夫婦で三鷹から東村山まで修業にうかがいました。

粉まみれになって仕込みから接客までいろいろなことを学ばせていただき、半年後に「だんごの輪島」1号店を埼玉・狭山ケ丘に出すことができました。従業員は、私たち夫婦に私の末弟を含めて6人でスタートし、その後、滝代の妹夫妻も加わり、東京・国分寺に2号店を出しました。

「薄利多売、細く長く」をモットーに家族的な堅実経営を心がけ、店はこれ以上増やさず、40年以上たった今も2店とも続いています。私は最初の2年間は午前5時の仕込みから午後8時の閉店まで、びっしりと店の運営にかかわりました。さらに開店から半年ぐらいまでは、夜間や休日に古巣の三迫ジムに行き、体を動かしていました。

一串(だんご3個)30円、弁当も手掛けて1個250円というつつましいビジネスでした。不器用な私がだんごを作ると、どうしても大きめで不格好になってしまうのですが、常連客のおばさんには「輪島さんが作っただんごがほしい。形が崩れているから、あれはそうじゃない?」とか言って買ってくれる人もいてありがたかったですね。

《タレント業や講演活動も経験した》

引退後、テレビ局や芸能プロダクションからいろいろお誘いをいただきました。自分には芸能活動は向いているとは思わなかったのですが、だんご店の経営が軌道に乗ると、「何事も経験」と思い、できる範囲でトライしてみました。午後の主婦向けのワイドショー番組にレギュラー出演したり、俳優業に挑んだこともありました。

TBSのドラマ「七人の刑事」にレギュラー出演させていただいたのも、いい思い出です。ボクサー上がりの刑事という役どころなのですが、「4回戦ボーイ止まりで2勝6敗」という設定。せめて元日本ランカーぐらいにしてほしかったかな。俳優業にももちろん全力で取り組みましたが、せりふはなかなか覚えられないし、役作りもやればやるほど難しいと感じるようになり、やはり自分の世界ではないなと達観しました。(聞き手 佐渡勝美)

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