令和3年、世界経済は半導体不足に翻弄された。自動車の生産は遅れ、新型コロナウイルス禍で需要が急増した通信インフラの分野でも半導体の確保が困難になった。米中をはじめ、世界で半導体供給網の再構築が進む中、日本政府も半導体を戦略物資と位置づける。しかし、かつて日の丸半導体と呼ばれて世界を席巻した勢いは今、失われてしまった。それでも長年培われてきた技術、健闘する素材メーカーを生かしながら、この国の半導体産業を復権させなければならない、重要な時期を迎えている。
三重県桑名市、大型物流センターや金属加工工場などが立ち並ぶ工業地域に、台湾の半導体受託生産企業、聯華電子(UMC)の子会社、USJCの工場がある。2棟を備えた広大な敷地。もとは昭和59年に操業開始し、その後も最新鋭の設備を整えた富士通の三重工場だった。
「当時、大規模工場と思って造った工場だが、世界に出てみると巨大工場とはこんなもんじゃなかった。ケタがまるで違った。ただ、縮小する日本のマーケットを相手にしてきた日本企業にできる工場投資は限られていた」
富士通で経営執行役常務として半導体事業を統括し、今は半導体設計ベンチャーを設立し代表を務める藤井滋氏はこう振り返る。
1980年代から90年代にかけて、世界を席巻した日本の半導体産業は、機械メーカーが自社の家電やパソコンに使うために、設計から製造まで自社で担うことでその技術を磨いた。ただ、やがて先端半導体の供給先は世界的メーカーのパソコン、そしてスマートフォンへと移り、メーカー不在の日本は競争力を失った。機械メーカーの1事業にすぎなかった半導体事業は次々と切り離されていく。富士通三重工場も、運営する三重富士通セミコンダクターが平成30年にUMCへの売却を発表、翌年には完全子会社化された。