土曜日の昼間の住宅街。その姿はあまりにも異様だったはずだ。女は幼子の目の前で主婦を刺殺。血をしたたらせながら、約600メートル離れた公園まで逃げ、手洗い場で血を洗い落とした。そして忽然と消えた-。2000年代を目前にした平成11年11月、名古屋市西区のアパート一室で主婦、高羽奈美子さん=当時(32)=が首などを刺され死亡した。夫の悟さん(65)は犯人の血痕や靴跡がくっきりと残る部屋を今も借り続け、容疑者逮捕の一報を待ち続けている。
理不尽に奪われ
「とにかく、幸せの絶頂のときに殺された…」。悟さんは振り返る。不動産会社の同僚だった奈美子さんと7年に結婚し、9年には長男の航平さん(24)も生まれた。だがありふれた幸せは理不尽に切り裂かれた。「平和な日々で恨みを買うことはない。うちの奈美子がそんなに悪いことをしたのか」
奈美子さんの死因は首を数カ所刺されたことによる失血死。事件当時、現場には当時2歳の航平さんもいたが被害に遭わず、物色された様子もなかった。凶器とみられる刃物はなかったが、玄関にはもみ合った際にけがをしたとみられる犯人の血痕と靴跡が残された。現場洗面所と近くの公園の手洗い場の2カ所に犯人が血を洗い流した痕跡もあった。
愛知県警の捜査本部は、血液のDNA型などから犯人が当時40~50代、身長約160センチで血液型B型の女と断定。奈美子さん、悟さんの知人の線から、面識のない不審者にまで捜査を広げたが、未解決のままだ。
好材料がないわけではない。悟さんのメディアへの積極的な発信や報奨金指定を背景に、平成16、17年に0件に落ち込んでいた情報提供が増加。今年に入っても捜査本部に110件の情報が寄せられた。
遺族に重い負担
「遺族に捜査はできないが、警察へ情報が行くように責任を果たしたい」。悟さんは今も現場の部屋を借り続ける。遺族による「現場保存」だ。真相解明への希望をつなぐのは、玄関の血痕のDNA型。ビニールシートをめくると、靴のサイズ表示まで鮮やかな、黒く変色した犯人の血痕がしみ込んでいた。
それでも、最近は全てを片付ける選択もちらつく。以前よりも下がったが月に5万円の家賃負担は軽くない。「年金生活で収入は限られている。片付けるとしたら25年とか30年の節目になるのかな」。料理が得意だった奈美子さんの愛用したレシピの本を前に「退去するときは、一つ一つの物から『奈美子が大事にしていた』などと考えてしまうから、業者に任せるつもりなんです」とつぶやいた。
大切な人を奪われた後も、遺族が重荷を背負わなければならない現実がある。現場アパートの支払い総額は先月、2千万円を超えた。25年から殺人事件被害者遺族の会「宙(そら)の会」代表幹事を務める悟さんは、殺人事件加害者が民事裁判で命じられた損害賠償を国が代執行する制度の導入を訴える。「犯罪はなくせるわけがない。犯罪のない社会ではなく、起こっても安心して暮らせる社会ににすべきだ。遺族の生活が悪い方向へ行くことはあってはいけない」
22年の歳月流れ
深い霧の中に女は消えたまま、22年の歳月が流れ遺族の時間も動いた。悟さんは介護のためサラリーマンをリタイア、航平さんは昨春に就職して実家を巣立った。先月、航平さんの独立などを機に、事件以来「子供の成長を見られる」と仏壇に安置していた奈美子さんの遺骨を悟さんの父が眠る墓に納骨した。
「事件で僕と航平の人生が暗くなるのを、奈美子はもっともいやがると思うんです。だから家族を失ったことは悲しいが、亡くなった人の分まで充実した人生を送らないと供養にならない」。悟さんの左手に指輪がきらりと光った。(内田優作)
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名古屋市西区主婦殺害事件 平成11年11月13日午後2時半ごろ、名古屋市西区のアパートで住人の主婦、高羽奈美子さん=当時(32)=が首などを刺されて死亡しているのが発見された。犯人は現在60~70代の女とみられる。昨年から300万円の特別報奨金も指定し、17人の専従捜査員が犯人を追う。情報は愛知県警西署捜査本部(052・531・0110)
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コロナ禍に終始した令和3年も社会を震撼させた事件が相次いだ。凶悪事件の解決率は向上したものの長期未解決の事件も残る。許してはならない未解決事件の現場から報告する。