ビブリオエッセー

悪名高き側用人の実像は… 「松蔭(まつかげ)日記」上野洋三校注(岩波文庫)

日本人は誰かを悪者にするのが好きらしい。緊急事態宣言の時つくづく思った。我慢するのは大事だが、やむをえない遠方への外出なども目の敵にされた。同調圧力が気になる。

こういう国民性は今に始まったことではなさそうだ。テレビで『水戸黄門』を見ていても思ったが、歴史の世界で柳沢吉保ら幾人もの人物が不当に極悪非道の敵役にされていないだろうか。逆に物語で語り継がれてきた正義の味方は本当に善人なのか?

『松蔭日記』は吉保の側室、正親町(おおぎまち)町子が当時の柳沢家の出来事を綴った古い記録である。吉保といえば一般には「将軍の寵愛をよいことに権勢をほしいままにして人々を苦しめた」とされてきたが事実はどうなのか。そんな疑問から大学時代に読んだこの日記を再読した。

私流にいくつか意訳してみると、こんな感じだ。「吉保さまは将軍綱吉公のため身を粉にして働き、過労で体を壊すこともあった」「吉保さまは皇室を尊崇し、皇室ゆかりの寺社の再興や陵墓の修復に尽力した」「吉保さまは多忙な中でも花見や月見を楽しみ、引退後はもっぱら季節の風情を味わう暮らしをしたいと早くから思っていた」「吉保さまは諸々の学問に関心が高く、特に歌道に精進し、歌才を当代きっての歌人、霊元上皇にも認められた」等々。

町子は吉保を賛美している。家族のひいき目はあるだろうが事実無根とも思えない。たとえば過労の件は幕府の公的な歴史書である『徳川実紀』にも記されている。

上野さんはこの日記に王朝文学への志向があると解説する。その上で綱吉・吉保時代を「放漫な財政運営」と書き、文化の浪費性も指摘しているが悪者とはみていない。実像を知るには客観的に表も裏も知る必要があるようだ。

京都市上京区、川上奈美(44)

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