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地域に根付く文化 未来につなぐ 志々島(香川県三豊市)

明治の土砂崩れで幹の下が埋まり独特の形状をしている大楠。トレッキングルートが整備されている
明治の土砂崩れで幹の下が埋まり独特の形状をしている大楠。トレッキングルートが整備されている

人口19人、周囲3・8キロの小さな志々島(ししじま)には、樹齢1200年と推定される大楠(おおくす)がある。古くから島の守り神で、瀬戸内海屈指の大きさを誇る県指定天然記念物だ。幹回り12メートル、高さ22・5メートルの巨樹で、20メートルほどの太い枝が竜のごとく四方に伸びて神々しい。

志々島は豊かな山と好漁場に恵まれ、昭和20年代までは千人以上が暮らし、半農半漁の生活をしていた。昭和40年頃から、冬季に漁をしない男たちが始めた花卉(かき)栽培で隆盛し、最盛期には100軒以上の花農家がいる「花の島」となった。白く可憐(かれん)な除虫菊をはじめ、オレンジ色のキンセンカなどがパッチワーク状に広がり、対岸の本土からは山一面に花のじゅうたんが見えたらしい。平成に入ると過疎化と高齢化が進み、花農家はいなくなったが、ここ数年は「花の島」を復活させようと島の個人が花畑をつくっている。

島の港付近には、小さな家を模した「霊屋(たまや)」が並ぶ。これは「埋め墓」といい、かつて他の地域でも見られた風俗で、一人の故人に対して土葬する墓と霊魂をまつる墓をつくる両墓制の名残だ。

昔ながらの茶粥と大きな油揚げなどを炊いた「おひら」
昔ながらの茶粥と大きな油揚げなどを炊いた「おひら」

廃れゆく文化や風俗が多いなかで、志々島では「茶粥(ちゃがゆ)」の食文化が残っている。周辺の島々でも親しまれていたが、今は志々島でしか日常的に食されていない。

茶粥は、碁石(ごいし)茶の中に米と一口大のサツマイモをのせ、炊いていただく。碁石茶は高知県大豊町の伝統製法による完全発酵茶で独特の酸味と香りをもち、昔から島で常飲されてきた。

茶粥のほか、おもてなし料理の「おひら」も郷土料理だ。いりこや昆布だしで炊いた油揚げや高野豆腐などの数品を平椀(ひらわん)でいただく。観光振興や伝統文化の継承に力を入れる志々島ダイナミックスの山地常安さんによれば、「茶粥やおひらは、祝い事や神事の時に食べた。おそらく京都の精進料理が伝わってきたのではないか」という。

平成26年、島の人たちによって「休憩所くすくす」やゲストハウスがオープンし、観光客も多く訪れるようになった。10年ほど前から、大楠の草刈りに来てくれるボランティアへのお礼に茶粥をふるまってきたが、今後は観光客にも茶粥やおひらを提供したいと計画している。

島の宝を守るのか、取り戻すのか、失うのか。茶粥一つでも、地域性を照らし出す重要な資源である。少ない人口であっても、故郷を愛する思いは、「未来に残る島にしたい」と挑戦する大きな原動力となっている。

■アクセス

宮ノ下港(香川県三豊市)からフェリーで。

■プロフィル

小林希(こばやし・のぞみ) 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は100島を巡った。