天気予報が寒波到来と猛吹雪を告げていた朝のこと。
目覚めて、大荒れの天気のその後はどうなったか、と寝室のカーテンの隙間から外をのぞいた。
あたりは、朝の静かな光に満ちていた。
急ぎコートを羽織って庭に出て、那須の山々を仰いだ。
茶臼岳が前夜の雪にすっぽりと厚く覆われていた。
あの山々が、日本海を襲ったという前夜の寒波の防波堤になってくれたようだ。
この雪の山々に私は守られ、支えられて暮らしているのね、と思わず頭の垂れる思いがした。
威風堂々とした頼もしいその山々を眺めていると、ちっぽけな自分が、いっそう心もとなく思えるばかりだ。
この2年、多くの人がそうだったように、私もコロナ禍をなんとかくぐり抜けて生き延びはした。
でも、来年はどうなるのか、と考えても、見当がつきかねる。
先日は無茶(むちゃ)をして腰を痛めたけれど、1週間で立ち直り、さすが! と周りからは言われた。
でも、もう頑張るとか、一生懸命なにかを主張するとかできそうにもない心境だ。
よくよく考えれば、希望に満ちて、なにかを目指そうとか、なにかを達成しようとか、もう思えるような気がしない。
そこそこにつつがなく、晩年に出会(であ)った那須の山々に支えられ、癒やされ、淡々と暮らしていければいいなあ、と思うばかり。
そんなことをあれこれ思っているのは、「今年の抱負」というアンケートを頼まれたせい。
ところが、なんの「抱負」も頭の中に湧いてこない。それで、思案の末にやっと思い浮かんだ言葉がこれだった。
「成り行きにまかせて生きよう」
それが今の自分の心持ちにぴったりだ、と気が付いてしまったのだ。
思えば、頑固だった父が、ある時から、人生を投げ出しちゃったように、なにを言っても、「それで、よろしい」とだけ言うようになった。
「そんなことでどうするの?」と詰め寄ったら、「もう考えるのがめんどうになった」と言った。
結局、先行きが見えなくなったら、しばし成り行きに任せる、ジタバタしないのがいいのかも。
それが、かねてより私の理想とする「朝、目ざめたら、お天気がいい、それだけでシアワセになれるシンプルな心境」を目指す一番の近道なのかもしれない。(ノンフィクション作家 久田恵)