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「第二の人生に燃えたい」橋幸夫が前向きな引退を語る

「期限を決めてすっきりした」と語る橋幸夫(石井健撮影)
「期限を決めてすっきりした」と語る橋幸夫(石井健撮影)

再来年、80歳を迎えるのを機に「歌手を引退する」と発表した橋幸夫(78)。記者会見を開き「数年前から喉に不調を感じていた」などと説明していたが、改めて話を聞くと、こんな答えが返ってきた。「第2の人生で燃えたい」。橋が、前向きな引退について語る。

矜持(きょうじ)

17歳で歌ったデビュー曲「潮来笠(いたこがさ)」が大ヒット。以来、ずっとスター歌手だった。だが、「還暦が歌手の限界だろう」。50歳の手前から常に引退を考えていたという。

「横綱は引退したら親方になれるけど芸能界にはそういう仕組みがない。死ぬまで歌うという人もいるが、僕はアスリートのようにパッと辞めたかった」と明かす。

還暦は過ぎたが、喉の不調が決断を促した。

「75歳ぐらいから声が割れるようになった。風邪かと思っていた」。だが、回復せず、一昨年、医師から加齢による喉の筋肉の衰えを指摘された。ちょうどコロナ禍に歌う機会を奪われていた頃だったので、筋肉を〝鍛える〟ことは難しい。元には戻らないと観念した。

ただ、まったく歌えなくなったわけではない。事実、今月8日からコンサートで全国を回っている。万全ではないことを、本人が気にしなければいいだけだ。

だが、「声がかれて『もう年だ』といわれるのは嫌だ」と言い切る。

また、歌をめぐる時代環境の変化も冷静に見極めた。

「一緒に年をとったファンはありがたいが、デジタル化社会にあって彼らだけに向かって歌うのも歌手としては忍びない。だが、若い人の曲を僕が歌ったとして誰がそれを聴くのだろう?」

かつて、グループサウンズに先んじてエレキサウンドを取り入れた「リズム歌謡」に取り組むなど時代をリードした。そんな歌手としての矜持の問題でもあるのだ。

自分で決めたい

また、進退は自分で決めたいという強い思いもあった。

東京の呉服店の13番目の末っ子。家族、中でも42歳で産んだ母親は、なにくれとなく面倒を見てくれた。歌手の道に進ませたのも母。

デビューすると3つ上の姉が付き添い、「全部、私が払ってあげるから」と10年間、財布をもてなかった。

「自分で決めさせてほしいという気持ちをデビューの頃から、ずっともっていた。やっと自分で決められた」と思いを明かす。

10月4日に東京都内で記者会見し、「歌手はやめるが、芸能界を引退するわけではない。芝居などは続ける」と説明した。健康に問題はない。元気だ。

知人らから「寂しくなる」という連絡が相次いだ。だが、もう歌い切ったのだ。

「寂しさなんてない。芸能界とは別に、ちょっとやりたいこともあるんですよ。第2の人生で燃えたい」

80歳を迎える令和5年の誕生日(5月3日)まで、コンサートは続ける。早々に引退を発表したのは、一人でも多くのファンに公演会場に足を運んでもらい、「感謝を込めて歌いたいから」だという。

22日に新曲「この道を真っすぐに」を出した。警察官の応援歌。

実は、シングル盤に同時収録の「この世を花にするために」と「この道」は、昭和46年に警察関係者向けに出した歌を改めて歌い直したもの。

橋の自宅のある地域の警察署長から「この2曲を知らない警察官はいない。われわれの〝命の歌〟だ」と聞かされ企画した。新曲は警察官OBが作詞し、橋が作曲した。

引退ラストソングは、これとは別に今後発売予定。(石井健)

はし・ゆきお 昭和18年生まれ、東京都出身。中学2年生から作曲家、遠藤実の歌謡教室に学び、作曲家、吉田正の門下生として35年、「潮来笠」でデビュー。舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」と呼ばれるアイドル的人気を博す。「いつでも夢を」(女優、吉永小百合とのデュエット)「霧氷」「恋のメキシカン・ロック」「子連れ狼」などヒット曲多数。最近、「ジェンカ」がSNSの動画で多数引用されて話題に。