真摯に向き合った院長、患者や同僚の信頼厚く 大阪・北新地ビル火災

火災が起きたビルの4階部分にはシートが貼られていた=23日午後、大阪市北区(本社ヘリから、竹川禎一郎撮影)
火災が起きたビルの4階部分にはシートが貼られていた=23日午後、大阪市北区(本社ヘリから、竹川禎一郎撮影)

大阪市北区のビル火災で火元となった4階の心療内科「西梅田こころとからだのクリニック」の院長で、犠牲となった西澤弘太郎さん(49)は、朝から晩まで開院し、数多くの患者と向き合ってきた。「一人でも多くの患者を社会復帰させたい」。熱い心を秘めながら冷静に診察する姿勢は、患者だけでなく、同僚たちからの信頼を集めていた。

「優しく、患者とは真摯(しんし)に向き合う。勉強熱心で医師に向いている性格だと感じていました」。約20年前に堺市内の病院で一緒に働いていた医師の陣内均さんは振り返る。

陣内さんによると、西澤院長は当時、救急と内科を担当。患者に対しては事前にカルテを入念にチェックした上で伝え方や内容を考えて接していたという。

外来患者が遅い時間に訪れたときがあった。入院が必要だったが院内にはベッドがなく、転院することに。「自分が対応した患者だから」と転院先が決まる深夜まで、当直の医師にまかせることなく面倒を見ていた。「仕事に対する責任感が強く、仕事好きな面もあったのだろう。当時いた内科医の中では、一番多くの患者を抱えていました」

多忙にもかかわらず、周囲に対する温厚な態度を崩さなかった。同じ病院で働いていた看護師の女性は「看護師らスタッフの話を聞いてくれて、業務でわからないことがあっても丁寧に教えてもらっていた」と話す。

その後、心療内科の道へ進む。大阪府松原市内にある父親(78)の病院などで経験を積んだのち、平成27年10月に現場クリニックを開業。父親の病院の心療内科で週4回勤務する傍らで、水曜と日曜以外はクリニックを開院し、午前10時から午後10時まで患者を受け入れる日もあった。

一部のクリニック患者の障害年金の受給サポートを担っていた社会保険労務士の土橋和真さん(46)は「患者を社会復帰させたいという思いが強いからこそ、夜遅くまでクリニックを開けて会社帰りの方をお迎えする態勢を作っていたのでは」とおもんばかる。

朝早くても夜遅くても、患者らに丁寧な態度で接していた。特に力を入れていたのが、発達障害のある人の診察だ。患者の特性をつぶさに検査して対応策を探り、多くの人が社会復帰を果たしたという。土橋さんは「西澤先生のような医師はほかにいない。患者たちにとって社会復帰のための場が失われた。大きな損失ですよ」と表情を曇らせた。