西寺跡から格式高い廊下跡が出土 平安宮・大極殿と同格

西寺・講堂の北から出土した軒廊跡(上)と僧房南縁を示す瓦片(手前)。化粧に使われた凝灰岩も一部残っていた=京都市南区
西寺・講堂の北から出土した軒廊跡(上)と僧房南縁を示す瓦片(手前)。化粧に使われた凝灰岩も一部残っていた=京都市南区

平安京の玄関口・羅城門を挟み、東寺と左右対称に置かれた西寺跡(京都市南区、国史跡)から屋根付きの廊下跡が出土し、京都市文化財保護課が22日発表した。講堂と僧の居住施設「僧房(そうぼう)」をつなぐ廊下とみられ、表面と両側面に加工した凝灰岩(ぎょうかいがん)が使われていた。平安宮・大極殿(だいごくでん)の廊下と同じ格式の高い工法とされるが、いずれも出土例がなかったため、同課は「西寺だけでなく宮殿の構造が明らかになる可能性を含んだ発見」と評価している。

西寺は平安京遷都に伴い、東寺とともに造営された国営寺院。講堂は天長9(832)年に完成し、正暦元(990)年に焼失した。今回は史跡の範囲確認のため、講堂跡北側の計約75平方メートルを調査した。

この結果、北側の僧房跡と講堂をつなぐ3メートル四方の廊下跡が出土。廊下は、当時の地表から約0・5メートルの高さで、表面と両側面を加工した凝灰岩のブロックで直角に囲った「壇(だん)上積基(じょうづみき)壇(だん)」工法が用いられていた。過去の調査などを基に、廊下は長さ8・3メートル、幅8・0メートルと推定。廊下跡からは柱の礎石跡も見つかり、屋根に覆われた軒廊(こんろう)形式だったことも判明した。

壇上積基壇の廊下は、大極殿と小安殿(しょうあんでん)、豊楽(ぶらく)殿(でん)と清暑堂(せいしょどう)など、平安宮でも天皇の儀式・政務にかかわる特別な場所に用いられたと想定されるが、具体的な出土例はなかった。

近畿大の網伸也教授(考古学)は「当時の国営寺院や僧に対する権威の高さをうかがわせる史料だ。その廊下を高僧が粛々と通る儀式は荘重なものだったに違いない」と話している。また今回、寺の関係者が住む「小子房(しょうしぼう)」を含めて東寺の伽藍とほぼ同じになることも確認された。(園田和洋)

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