邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓のイメージが強い箸墓古墳(3世紀後半)が、400年後の飛鳥時代、古代史最大の内乱「壬申(じんしん)の乱」(672年)の主戦場として登場する。日本書紀に記された「箸陵(はしのみささぎ)の戦い」だ。天智天皇の子・大友皇子率いる近江朝廷軍を、天皇の弟・大海人(おおあま)皇子(後の天武天皇)軍が、古墳一帯で迎え撃ち、大海人軍勝利へ一気に流れをつくった。卑弥呼のロマンは、天皇家同士が皇位をめぐって争った歴史舞台でもあった。
日本書紀が記した「箸陵の戦い」
壬申の乱は、大津京(大津市)に都を置いた天智天皇の死後、弟の大海人皇子が奈良・吉野で6月に挙兵。おいにあたる大友皇子と約1カ月にわたって戦乱を繰り広げ、大友皇子は自害。大海人皇子が673年、天武天皇として奈良・飛鳥(明日香村)で即位した。