東京五輪の宴のあとに訪れたのは流行「第5波」のピークだった。新型コロナウイルス感染拡大により、国内の1日の新規感染者数は8月13日に初めて2万人の大台に乗り、20日には最多の2万5975人。重症者も2000人を超え、医療体制はさらなる苦境に陥った。爆発的感染は、続投を目指す菅義偉首相の命運にも影を落としていく。
「感染が爆発的に増加し、医療の逼迫(ひっぱく)が日々深刻化している」
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は8月12日、今後2週間の東京都の「人流」について緊急事態宣言前の「7月前半の約5割にする必要がある」と提言した。同日の都内の重症者は初めて200人を超え、都のモニタリング会議では専門家が「災害レベルで感染が猛威を振るう非常事態だ」と危機感を募らせた。
「自粛疲れ」「宣言慣れ」
数字は正直だった。翌13日、国内の1日の新規感染者数は初めて2万人の大台に乗り、2万492人に達した。自宅療養中の死者も増加傾向となっていた。
一方で、15日までのお盆期間の空の便の利用状況が前年の1.4倍に達したほか、政府が経済界に出勤者7割減を目指してテレワークの徹底を求めても、各地ではふだんの通勤風景が見られ、「自粛疲れ」「宣言慣れ」の声も聞かれた。
医療体制が逼迫する中、千葉県柏市では、コロナに感染し自宅療養中だった30代の妊婦が、入院の受け入れ先が見つからないうちに自宅で早産し、男の赤ちゃんが死亡するという痛ましい事案が起きていたことが19日、判明した。この時期、重症化の度合いを測る医療機器の血中酸素飽和度計(パルスオキシメーター)も、半導体不足で生産が追いつかない事態になっていた。
感染ピークも死者数抑制
アクション俳優、千葉真一さんがコロナによる肺炎のため82歳で死去した19日、国内の新規感染者数は2万5335人と、初めて2万5000人を超えた。翌20日は2万5975人。流行「第5波」のピークであり、現在に至るまで最多の数字となっている。これは、第1波のピークだった昨年4月11日の644人、また、第4波のピークだった今年5月8日の7244人と比べても、突出していた。
同じ20日、政府はそれまで蔓延(まんえん)防止等重点措置を適用していた7府県を緊急事態宣言に格上げ。宣言対象は計13都府県に広がったが、感染力の強いインド由来の変異株「デルタ株」の猛威はとどまるところを知らなかった。27日には8道県が追加され、計21都道府県まで拡大した。
ただ、第4波までと違って高齢者のワクチン接種が進み、感染者が激増しても死者の数は抑えられる状況が続いた。代わりに増えたのが、ワクチン未接種の50代以下の感染だった。
参加最多、胸打ったメダル
そうした中で、東京パラリンピックが24日、幕を開ける。東京五輪と同様に原則無観客で、史上最多の4403人が参加。片翼の飛行機が登場する開会式の演出は、国内外で高い評価を得た。
翌25日には競泳女子100メートル背泳ぎ(運動機能障害S2)で14歳の山田美幸が、日本のパラ歴代最年少メダルとなる銀メダルを獲得した。生まれつき両腕がなく、両脚の長さも違う。レース後、2年前に病死した父親が少年のころ「カッパ」と呼ばれていたとの挿話を明かし、「私もカッパになったと伝えたいです」と涙声で話す少女の姿は、人々の心に深く刻みつけられた。
解散逸し首相の求心力低下
世界がコロナの感染再拡大への対応に追われていたこの時期、アフガニスタンで大きな動きが相次いだ。
イスラム原理主義勢力タリバンは15日、首都を制圧し勝利宣言。ガニ大統領は同日国外へ逃れ、民主政権が崩壊した。30日にはアフガン駐留米軍の撤収が完了し、2001年9月11日の米中枢同時テロを機に始まった「米国史上最長の戦争」は終結した。
一方、わが国での爆発的感染は、菅義偉首相の命運にも影を落としていく。
首相のおひざ元で戦われた横浜市長選。8日の告示段階では「争点はカジノを含む統合型リゾート施設(IR)誘致」とされたが、選挙期間中の爆発的感染で空気は一変する。2週間後、22日の投開票では「コロナの専門家」を前面に打ち出した野党系の元医学部教授が、首相の支援を受けた元閣僚に圧勝した。
首相は自身の任期満了に伴う9月の自民党総裁選に出馬する意向を示し続けたが、岸田文雄前政調会長が26日、いち早く立候補を表明。求心力が著しく低下していた首相は、衆院解散を断行する時機も逸し、次第に追い詰められていった。
(41)2021年9月1日~ 緊急事態全面解除、迎えた政治の季節