一聞百見

水俣病や福島を記録し続ける写真家、小柴一良さん

水俣や福島などを舞台に45年にわたり写真家として活動を続ける小柴一良さん=大阪府熊取町(鳥越瑞絵撮影)
水俣や福島などを舞台に45年にわたり写真家として活動を続ける小柴一良さん=大阪府熊取町(鳥越瑞絵撮影)

工場排水のメチル水銀が原因とされる中毒性中枢神経疾患「水俣病」が公式に確認されてから65年。現在も患者認定の申請者は絶えない。こうしたなか、水俣病を世界に知らしめた米国写真家、ユージン・スミス(1918~1978年)を描いた米映画「MINAMATA」が公開され、水俣病への関心を呼び起こしている。また、これまで水俣病を記録し続けてきた写真家たちが10万点以上の写真を保存公開する取り組みを始めた。その写真家のひとりでスミスさんと交流のあった、小柴一良さん(73)に水俣病や原発事故の被災地福島を記録し続ける思いなどを聞いた。

ユージン・スミスと交流

--映画の感想は

小柴 水俣市(熊本県)にいる友人たちの中には「関心を高めてくれた」と評価している人たちもいる。当時を知る写真家やマスコミ関係者は違和感を訴える人が多い。映画と史実が異なる部分をみてしまうから。映画のスミスさんは僕が知る本人と重なる部分はあったけどね。

 水俣病を世界に知らしめた米国写真家、ユージン・スミス(右)=昭和47年、熊本県水俣市
水俣病を世界に知らしめた米国写真家、ユージン・スミス(右)=昭和47年、熊本県水俣市

--小柴さんがみたユージン・スミスとは

小柴 僕は昭和49年に大阪から水俣に移住し、同年秋にスミスさんが水俣を去るまでの半年間で5回ほど会った。当時の写真家を目指す若者にすれば「世界のユージン・スミス」だけど、人に対する目線が低く尊大な印象は全くなかった。初めて会ったのは水俣の若者が集まる若衆宿。そこで、スミスさんはお酒を手にしニコニコしながら、彼らの話に耳を傾けていた。その様子をみて、カメラを人に向ける前に時間をかけ信頼関係をつくり、写真を撮ろうという姿勢が垣間見えた記憶がある。

--ユージン・スミスは昭和46年から約3年間水俣に滞在し活動した

小柴 僕が感じた彼の被写体へのアプローチの象徴といえるのが、彼の水俣での代表作「入浴する胎児性水俣病の子供と母親」だろう。映画でも紹介されたが、あれはスミスさんしか撮れない作品だ。彼の作品は絵画のように芸術的といわれるが、この代表作も「ミケランジェロのピエタ像」(キリストを腕に抱く聖母マリア像)と比較されている。スミスさんに写真についての考え方を聞いたが、その時もわれわれとの違いを感じた。

小柴さんが昭和50年に撮影した胎児性水俣病患者の少女と母親。母親は高齢で健在だが、現在は家族が彼女をケアしているという=熊本県津奈木町
小柴さんが昭和50年に撮影した胎児性水俣病患者の少女と母親。母親は高齢で健在だが、現在は家族が彼女をケアしているという=熊本県津奈木町

--というと

小柴 僕は土門拳(どもん・けん)さん(日本を代表する写真家、明治42年~平成2年)の撮影に同行したことがあるが、彼は、よい写真のひとつの条件として、「計算して写した写真でなく、計算から外れて写った写真」という意味のことを「鬼が手伝った写真」と称していた。それをどう思うか、スミスさんに聞いたが、彼は「分からない」と答えた。

--なぜだろうか

小柴 お互いの言葉の問題もあったかもしれないが、僕の解釈では、スミスさんが言いたかったのは、時間をかけ被写体へアプローチする中で表現すべきテーマをみつけ、それを作品に仕上げる。つまり偶然性に期待しないということだろう。それにしても何の実績もない若者と1時間以上も写真談議につきあってくれたのは人柄だと思うし、写真ジャーナリズムへの愛情が深いのだと感じたね。