鑑賞眼

世田谷パブリックシアター「彼女を笑う人がいても」 〝言葉〟が踏み躙るもの

望まぬ異動を告げられた新聞記者の伊知哉(左、瀬戸康史)に、ウェブメディアに転職することを明かす後輩の矢船聡太(渡邊圭祐)(細野晋司撮影)
望まぬ異動を告げられた新聞記者の伊知哉(左、瀬戸康史)に、ウェブメディアに転職することを明かす後輩の矢船聡太(渡邊圭祐)(細野晋司撮影)

〝言葉〟が踏み躙るものに自覚的であれ。

2021年、業績が悪化した新聞社。ライフワークにしていた東日本大震災の被災者取材を続けられなくなった記者の伊知哉(いちや)は、祖父の吾郎も記者だったことを知る。吾郎は1960年、安保闘争で亡くなった女子大生の死の真相を追い求めた結果、筆を折っていた。60年以上を経て、2人の姿は重なっていく…。

瀬戸山美咲脚本、栗山民也演出。作中の女子大生は、樺美智子をモデルとしているが、あえて名前は出さず、「彼女」で通している。実際の出来事に取材した、ドキュメンタリーのような手触りの虚構。照明の当て方や背景の映像によって、現代と過去を交差させて見せた。

彼女の死をきっかけに「暴力を排し議会主義を守れ」と、主要新聞社が左右の別なく同じ言葉を紙面に掲載した「七社共同宣言」。報道機関の中立・独立性を投げ捨てる暴挙だと、吾郎は批判する。「報道が死んだ」その時代の「成れの果て」が、伊知哉のいる現代だという。

主人公である2人の新聞記者を瀬戸康史が1人で演じた。最近の風潮で、記者は〝マスゴミ〟として、手軽で便利な説明役兼悪役として消費されがちなので、久しぶりに舞台上で、自分の言葉と社会正義について悩む姿を見た気がする。

基本的に登場人物たちは、それぞれの立ち位置で、正しいと信じる物事を語る。主人公と相対する、秩序の在り方を説く当時の辰巳大介主筆(大鷹明良)にも、ビジネスの論理を匂わせる現代の三田史子デスク(魏涼子)にも、説得力がある。

ある一つの声だけを取り上げることは、別の誰かの声を封殺することになりかねない。結論ありきの危険性と、ある出来事を分かりやすく伝えようとするとき、ノイズとして削ぎ落したものに「声なき人の声」が宿っていないかと、物語は問いかける。

日本が敗戦で抱えた自己矛盾、報道機関の欺瞞、東日本大震災からの復興と東京五輪…。さまざまな問題提起がミルフィーユ状に折り重なり、時折、登場人物のセリフのなかで、物語の表面に顔を出す。単純に面白い、面白くないの次元で評価することが難しい奥行きを、作品に与えている。

世田谷パブリックシアター(東京都世田谷区)で18日まで。問い合わせは同シアター、03・5432・1515。その後、福岡や愛知、兵庫県で公演する。

公演評「鑑賞眼」は毎週木曜日正午にアップします。


舞台「彼女を笑う人がいても」より。新聞記者の伊知哉(左、瀬戸康史)と、被災者として取材に応じてきた梨沙(木下晴香)(細野晋司撮影)
舞台「彼女を笑う人がいても」より。新聞記者の伊知哉(左、瀬戸康史)と、被災者として取材に応じてきた梨沙(木下晴香)(細野晋司撮影)
七社共同宣言(細野晋司撮影)
七社共同宣言(細野晋司撮影)

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