阪神大震災27年 銘板に6人追加 「会いたいときに来られる」

母と姉の銘板を取り付ける増田潤さん=11日午後、神戸市中央区(代表撮影)
母と姉の銘板を取り付ける増田潤さん=11日午後、神戸市中央区(代表撮影)

平成7年1月の阪神大震災の犠牲者の名前を刻んだ銘板を掲げる神戸市中央区の「慰霊と復興のモニュメント」に11日、6人の名が加えられ、掲示される名前は関連死なども含め5029人となった。来月で震災から27年。追加式典に参加した遺族らは新たに刻まれた名前に触れ、亡き家族の面影をしのんだ。

「これでいつでも会いたいときに会いに来られる」

兵庫県芦屋市の増田潤さん(71)は全壊した自宅の下敷きになって亡くなった母、悦子さん=当時(71)=と姉、美紗子さん=同(47)=の名前が刻まれた銘板に語りかけた。

増田潤さんの母、悦子さん(右)と姉、美紗子さんの生前の写真=昭和59年5月撮影(増田さん提供)
増田潤さんの母、悦子さん(右)と姉、美紗子さんの生前の写真=昭和59年5月撮影(増田さん提供)

7年1月17日、増田さんは同県三木市から自宅に駆け付けたが、なすすべがなかった。奇跡的に助かった父とは避難所で再会したが、悦子さんと美紗子さんは2日後に遺体で発見。増田さんは1週間ほど毎日、遺体安置所へ母と姉に会いに行ったという。「何も言い残せずに突然死んでしまった2人のことを思うと気はめいったが、貴重な時間だった」と振り返る。

増田さんが芦屋市の慰霊碑に犠牲者の名前が刻まれていないことに気が付いたのは昨年、同市での慰霊祭でのことだった。14年に犠牲者452人の名前を刻印した銘板が奉納されたという記録はあるが、市は「名前の非公表を希望する遺族がいたので、銘板は地下にある」と説明する。増田さんの母と姉の名前もおそらく記されているが、今では確認することもできない。増田さんは銘板の公開などを市に求めたが、色よい答えは返ってこなかった。

そんななか、神戸市では市外の犠牲者の名前も刻まれていることを知り、刻銘を依頼した。

「(名前が書かれた)一枚のプレートがアイデンティティーで、それが残ることは大きい」と話す増田さんは、刻銘の意味は犠牲者の魂を慰めるためだけではないと強調する。

「後世の人たちは、多くの犠牲者の名前が刻まれた碑を見て震災の悲惨さを感じ取ってくれる。2人がここにいるからこそ、世の中のために防災の発信ができるし、防災意識が高まるはずだ」