聴覚障害の児童が避難できなかった昭和の大惨事

16人が犠牲となった寄宿舎火災について話す裏辻哲也さん=12月6日午前、岡山市中区の岡山県立岡山聾学校
16人が犠牲となった寄宿舎火災について話す裏辻哲也さん=12月6日午前、岡山市中区の岡山県立岡山聾学校

火災や地震といった災害は、障害者にとって大きな脅威だ。昭和25年に起きた岡山県の盲・聾(ろう)学校寄宿舎火災では、16人の児童が犠牲になった。視覚障害のあった児童の死者はなかったが、亡くなった16人全員が聴覚障害のある児童だった。生死を分けた境目は「音」。未明の火災とあって、現場は暗闇と煙に包まれて視界は悪く、音の聞こえない聴覚障害者が逃げるには厳しい条件が重なっていた。重い教訓を残した火災から約70年。聴覚障害があり、当時寄宿舎で生活をしていた裏辻哲也さん(82)は「火災を知らせる太鼓の音が聞こえず、低学年の子供は逃げ遅れ、16人が亡くなる大惨事となった。とても悲しい思い出です」と手話で振り返った。

裏辻さんが描いた燃える寄宿舎の絵
裏辻さんが描いた燃える寄宿舎の絵

窓から木にとびつき

現在の県立岡山聾学校(岡山市中区)の資料などによると、火災は昭和25年12月20日午前2時ごろ、岡山県立盲・聾学校の寄宿舎1階から出火。木造2階建ての寄宿舎が全焼した。出火当時、寄宿舎には盲・聾学校の児童は計約130人いたが、犠牲となったのは聴覚障害のある16人だった。出火原因は宿直職員の火の不始末とみられるという。

火災発生時、11歳だった裏辻さんは2階の一室で就寝中だった。火の回りが早かったため、当直の職員は2階まで起こしにくることができなかったという。火の手に気づいた上級生らは、目を覚まさない下級生らを起こしに各部屋を回っていたという。

裏辻さんは「すぐには起きられなかった。充満する煙で息苦しくなり、起き上がって部屋から出ると廊下が燃えていた」と話す。裏辻さんは窓を開け、目の前にあった木に飛び移り校舎から脱出。一命をとりとめた。だが、頭と腕に全治2カ月のやけどを負った。

寄宿舎では普段、太鼓を鳴らして響かせた振動で聴覚障害のある児童らに時間や異常発生を知らせていた。当時は建物内の電灯も十分には設置されておらず、火災発生時の深夜、児童らは深い眠りについていたため、逃げるのが遅れ、犠牲になったという。

裏辻さんは「16人の中には、仲の良かったクラスメートもいて忘れられない。とても悲しい思い出です」と振り返る。

「十六学童の碑」

火災は当時、全国的に大きく報道され、災害発生時の聴覚障害者の避難誘導について考え直すきっかけになったという。

裏辻さんは「火災以前は避難訓練はなかったが、火災後は寄宿舎で夜11時ごろに起きるような訓練をするようになった」と話す。

学校は47年、現在の岡山市北区の位置から中区に移転。火災の教訓を伝え犠牲の児童を慰霊する「十六学童の碑」も同年移転した。同校では毎年12月20日に合わせ「十六学童を偲(しの)ぶ会」を行い、在校生らが、献花や黙禱(もくとう)を行っているという。裏辻さんも友人らを誘い毎年参列。16人分のおにぎりや果物を供えているという。

裏辻さんは「耳が聞こえないのは、いろいろと不便がある。健聴者のみなさんには理解と支援をお願いしたい」と呼びかける。

岡山県立岡山聾学校に建つ「十六学童の碑」
岡山県立岡山聾学校に建つ「十六学童の碑」

各教室に警告灯

現在、岡山県立岡山聾学校では幼稚部から高等部で計60人の児童・生徒が学ぶ。また、8人は実家が遠方にあるなどの理由で校内にある寄宿舎で指導員とともに暮らしている。

火災を教訓として、校内の各教室や廊下には異常発生を強い光の点滅で知らせる警告灯(フラッシュライト)が備え付けられている。定期的に避難訓練も行っている。

聾学校内の校舎や寄宿舎内には、異常発生を強い光の点滅で知らせる警告灯が設置されている
聾学校内の校舎や寄宿舎内には、異常発生を強い光の点滅で知らせる警告灯が設置されている

同校の高見晴寿副校長は「夜間に発生した火災では暗闇や煙で周囲の状況が視覚を通じての情報では把握できず、聴覚障害の児童らには悪条件が重なった。このため、全員が避難できた視覚障害の児童と明暗を分けたのではないか」と推測する。

高見副校長は「このような火災は二度と起こしてはいけない。学校として防災に取り組むとともに、子供たちが自分を守れるよう、訓練を通じて育てていきたい」と話している。(高田祐樹)

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