複眼的アプローチ認められ喜び 正論大賞「受賞の言葉」平川祐弘氏 秦郁彦氏から「お祝いの言葉」

平川祐弘東大名誉教授
平川祐弘東大名誉教授

自由と民主主義のために闘う「正論路線」を発展させた学者、文化人らに贈られる「第37回正論大賞」(フジサンケイグループ主催)に決まった東京大学名誉教授、平川祐弘氏が「受賞の言葉」を語った。また、第30回受賞者、秦郁彦氏から「お祝いの言葉」が贈られた。


複眼的アプローチ認められ喜び 平川祐弘氏


「苟(いやしく)も自己を偉大にしようとする限りは、他の偉大を容(い)るるに吝(やぶさか)なる筈(はず)がない」。鷗外(おうがい)のこの言葉は私の信条だ。国際主義を奉じ内外の人と親しくし、多く学び、英仏語でも書物を出し、学際主義で多分野に跨(またが)り、職際主義で一般読者にもわかるよう専門論文を平明な文章作品に仕立てた。大賞を頂いたこの有難(ありがた)い機会に私の比較文化史研究について説明し、後進が続くことを願いたい。

平川の特色は対象国に専門があるのではない。比較する方法にある。スペシャリストは尊敬するが、時にひどい結果を出す「専門白痴」もいる。戦前、陸軍一のドイツ通の大島浩中将は、駐ドイツ大使としてヒトラーに心酔、日独伊三国同盟の立役者となったが、その悪(あ)しき例だ。それに対し三国同盟締結前夜、日本論壇でナチスの非をはっきり述べた竹山道雄(当時36歳)は第一級のドイツ文学者だが、仏英語にも通じ、判断のバランスがとれ、非人道の国と手を握ることの不可を説いた。戦後は、北京一辺倒の日本人が各界で正義面をした。その結果、シナと呼ぶのは蔑称だとして地名すらきちんと呼べなくなった。チャイナ・スクールは、同胞に対しては偉そうだが、相手には弱腰だから、先方は中国中心の華夷秩序を当然と思いこんでいる。

人間、相手国に惚(ほ)れ込むほどでなければ外国語はものにならない。それも事実だが、特定国にのめり込むと有害にもなる。相手を師として崇(あが)めるだけでなく、客観的に評価せねばならない。それには三点測量が必要だ。一外国語と母国語を結ぶと、知識がばらばらの点でなく線となる。しかし一外国語専門家は相手を見つめるうちに、相手に圧倒されがちだ。直線上の先に対象を見るから距離感が摑(つか)めない。それが第二外国語を習うと、線の知識は面となり、遠近感覚がつき、相手の所在が確認できる。さらに加わると、見方が立体的となり、バランスが取れてくる。

日本史は単眼の一国史では理解できない。日本は漢文化の影響を受けつつも自己を維持した。「和魂漢才」と呼ばれた時期である。その千年後には今度は西洋文化の影響を受けつつも自己を維持した、「和魂洋才」と呼ばれる時期である。いずれの場合も日本の国全体が中国化したわけでもなく、西洋の一国となったわけでもない。しかし「和」と「外」の要素がいかに相互に作用し衝突したか。昭和の戦争も東京裁判も、日本を知り相手を知ってこそバランスのとれた判断は下せる。国際文化関係研究者に授賞されたのは、平川の複眼のアプローチの有効性が認められたことと感じ、喜んでいる。


〈ひらかわ・すけひろ〉昭和6年、東京都生まれ。東京大学名誉教授(比較文学比較文化)。文学博士。東大教授などを歴任したドイツ文学者の竹山道雄は義父にあたる。旧制第一高等学校1年を経て28年、東京大学教養学部を卒業。同大大学院比較文学比較文化博士課程修了。東京大学教養学部教授を務め、平成4年に定年退官した。

ダンテ『神曲』の翻訳で河出文化賞を受賞したほか、『小泉八雲』などでサントリー学芸賞、『ラフカディオ・ハーン』で和辻哲郎文化賞受賞。ほかに『和魂洋才の系譜』『戦後の精神史』など著書多数。10年に紫綬褒章、18年に瑞宝中綬章を受章した。

月刊「正論」で令和2年2月号から3年8月号まで、「昭和の大戦とあの東京裁判―同時代を生きた比較史家が振り返る―」を16回にわたり連載した。本紙正論メンバーとして、90歳を迎えた今もなお幅広いテーマでの執筆活動を続けている。


新たな和魂洋才への道を示す 歴史家 秦郁彦氏


平川祐弘氏(以後は平川さんと呼びたい)への、遅すぎたとも言えそうな正論大賞の授賞が実現したことに祝意を表したい。

その報を聞いてから数日後、産経新聞の「正論」欄に

コロナ去って明るき秋の陽射(ひざ)し哉。

と題し、カミュ、マンゾーニ、ボッカチオら西欧の文豪たちが描きだしたペストの惨害ぶりを紹介した、平川さんらしい論稿が掲載された。コロナ禍の日々、将軍・徳川慶喜ばりの蟄居(ちっきょ)生活を送っていたわが身に、一瞬の陽光を浴びた思いで浮かんだのが次の返歌である。

平川さんとはと人問わば

和魂洋才の人と吾(われ)は答えん

東京大学の比較文化研究者としてのデビュー作でもあった『和魂洋才の系譜』の刊行は昭和46年である。それから半世紀、日本近代史の重要な思想的底流を照射した名著として各界の読書人たちに注目され、静かだが息の長いロングセラーとして読み継がれている。

私も早い時期からの読者だが、平川著の主題を明治維新後の日本でどう位置づければよいのか思案を重ねてきた。あえて私見を類似の四文字熟語で図式化すると、江戸時代までの和魂漢才に代わって洋魂洋才と尊王攘夷(じょうい)のせめぎあいとなり、折衷的に割って入ったのが和魂洋才ではなかったか。

攘夷に敗れた第二次大戦後の日本は、アメリカ流民主主義とマルクス主義思想がせめぎあう洋魂洋才へ傾いたかに見える。平川さんは、いずれにも偏さない新たな和魂洋才への道を示唆しているが、洋才を究めるのは、そう簡単ではない。

だが英仏伊語を読みこなし、語りこなし、書いて伝えられる平川さんのレベルまで背伸びする必要はない。神道、仏教、古典文学から儒教(論語)に至る混然とした日本の伝統文化を和魂と見なせば、一芸一能の素養を対外コミュニケーションへ振り向ける意気と努力を、後につづく世代へ期待したいものである。