貝殻旅行―三岸好太郎・節子展― 神戸市立小磯記念美術館 かけがえのない10年 心のなかに

三岸節子《自画像》1925年 一宮市三岸節子記念美術館 ©MIGISHI
三岸節子《自画像》1925年 一宮市三岸節子記念美術館 ©MIGISHI

生きていたらどんな絵を描いたろう、と思わせる夭折(ようせつ)の画家がいれば、こんな風に変わっていったのか、と画風の変遷にうならされる長命の画家もいる。神戸市東灘区の市立小磯記念美術館で開催中の「貝殻旅行―三岸好太郎・節子展―」は、そんな物語をもった画家夫婦の二人展だ。

春陽会第3回展(1925年)で入選を果たした三岸節子(1905~99年)の有名な自画像は縦30・5センチ、横20センチと小さなものである。しかし、どこにかかっていてもわかるほどの存在感を放っている。

背景の闇に抵抗するかのように浮かび上がる顔。おかっぱ頭の下の訴えるようなまなざし。そして、何かもの言いたげな口元…。

この絵が描かれたとき、節子は長女をみごもっていたとされる。

夫は三岸好太郎(1903~34年)。気鋭の画家として注目されはじめた好太郎は美術を学ぶ女子学生の節子を猛アタックのすえ口説き落とし、結婚した。

若き日の好太郎はさまざまな絵を描きこなすことができた。ルソーのように、ルオーのように、マティスのように、そして岸田劉生のようにも。同世代の画家たちの特徴をみごとにとらえて自分の血肉とした才気あふれる夫は、一方で家庭をかえりみず、自由奔放に遊びまわったといわれる。

1932年、不義を疑う妻に送った手紙の文言は、好太郎の憎めない人柄を示している。「貴女(あなた)を裏切つた事がいつあつたらう」

事実、愛妻には気をつかったようで、1934年に描いた「のんびり貝」の売り上げで、関西に2人で旅行をした。しかし、今回の「貝殻旅行」という展覧会のタイトルにもなっているこの旅の直後、節子と名古屋で別れた好太郎は胃潰瘍がもとで急死するのである。

三岸好太郎《のんびり貝》1934年 北海道立三岸好太郎美術館
三岸好太郎《のんびり貝》1934年 北海道立三岸好太郎美術館

東京にもどった節子は3人の子供をひとりで養わなくてはならなくなった。29歳の未亡人は洋画家として生きていくことを決意するが、当初は雑誌の挿絵などで糊口をしのいだ。戦後、マティスらの影響から脱した節子は、心象を込めて静物や風景を描く。黄色い太陽、緑色の摩周湖、オレンジ色に燃えるパリの街…。こうした強い色彩はのちに彼女の代名詞ともいうべき「花」にも引き継がれる。

三岸節子《花(絶筆)》1989年 一宮市三岸節子記念美術館 ©MIGISHI
三岸節子《花(絶筆)》1989年 一宮市三岸節子記念美術館 ©MIGISHI

節子は1994年、女性洋画家として初の文化功労者に選出され、94歳で亡くなるまで筆をとった。

会場に並ぶふたりの約80点の作品群を見ていると、背景となった夫婦の人生が浮かぶ。「好太郎といるときの節子は大変だったと思います。でも、彼の芸術家としてのすばらしさを感じていたのでしょう」と辻智美学芸員。

命の続くかぎり絵筆をとった節子。その心のなかには、いつまでも「かけがえのない十年間」(節子)をともにした好太郎がいたに違いない。(正木利和)

来年2月13日まで(1月10日を除く月曜と同11日、12月29日~1月3日休館)。一般800円。問い合わせ078・857・5880。

>展覧会の詳細(神戸市立小磯記念美術館)